藤幡正樹
80年代はCG制作会社を運営しテレビに向けた制作などをこなっていた
CGアートの原理的な部分(レイトレーシングや描画アルゴリズム)に着目した言論や制作をおこなう
Computer Sculptureという言葉を用いていた
1987 Geometric Love
1990 Forbidden Fruits
90年代以降は、SFCや藝大の教員をはじめる
ネットアートの領域で作品制作
2017年の再展示以降、IAMASで何度も何度も何度も展示され2024年時点でほぼ常設に
さすがにこすりすぎなかんじはする
とはいえ触ったらおもしろい
立像に対して、オンラインからライティングのボタンをいじり影を変化させる
その様子をYouTube上でストリーミング
00年代以降は、国際的なキャリアを積む
1998 ZKM のアーティストインレジデンス
Beyond PagesはZKMのコレクションに
2016年あたりはリンツ工芸大で教員をされていた
ご飯をごちそうになったり、マウトハウゼンに連れて行ってくれたりw、お世話になりました
公的な権威認定もすさまじい
東京藝術大学大学院映像研究科の立ち上げに参加、学科長を勤めた
2010年芸術選奨文部科学大臣賞受賞
文化庁メディア芸術祭審査員
2016年紫綬褒章を受章
直近の言説
教育的な立場としての活動がCCBTと一致?
人文知に(批判的に)根ざした言論と制作
当然のように現代芸術の作家やキュレーター、哲学者と交流がたくさんある
知識階級との交流(質の高いコミュニティとコミュニケーション)で知を作っているような印象を受ける
個人的な藤幡正樹観
西欧社会のカウンターとしての話題を話すとき、超絶におもしろい
クリティカルであるが、日本のギャラリストやキュレーターが扱わない話題、の引き出しの多さ
勉強することで得られるおもしろさはとても多い
基本的なおもしろがる能力(=勉強力?)が高め
厳しい。論理破綻や不勉強に対して容赦はない
概ね正しいものも、知識や立場のギャップを良くも悪くも強く意識されないため(=対等な目線)、逆に権力勾配や階級差を認識させられてしまう
それが人文知や現代芸術を排他的に見させてしまわないか
彼の言うmedia artはnot for meなルサンチマン的な感情を喚起させる
SFC時代の苛烈な教育姿勢をうわさで聞いたりはする
古澤龍さんの博士論文(2024)の主査が藤幡さん。指導厳しかったのでは。きになる。
直近の興味とおもしろがる対象はやはり対西洋で反射させられるアイデンティや、西洋の美学美術への批判・超克を扱った作品、日本のアートの構造的課題の指摘らへんと想像される
逆に、網膜で審美が動く視覚芸術(ばえるメディア・アートやアニメーション)には根本的に興味がないしつまらなくおもっていそう
メタモニュメント(2021、IAMAS)の寄稿文
サラダボウル=かつての人種多様性をうたったアメリカ が割れた、サラダボウルのサラダボウル
アーティストに求められるファシリテーターとしての役割
「日本のアート」の構造的課題
稽古事や真似から入る、求道的な姿勢
核家族化からアニメやゲームなどのバーチャルな存在への接触機会(と世界的同調)