万博
企業の力、行政の力、諸外国の力でそれぞれ、テクノロジーを駆使した表現をする祭り
その成果物には途方もないリソースが突っ込まれている
みんなの税金
よく知っている知人や会社の心血が注がれまくっていて、彼ら彼女らの労力が報われる結果となるのかきがかり
政治上の炎上リスクと隣り合わせな上に、肝心なコンテンツに芯があるのか
好きなパビリオンもある・ありそうだが、明確に厳しいパビリオンもある・ありそう
政治的判断を除いた場合の、成果物の良し悪しはどうか?
批評が必要
正直、ほとんどの表現はしんどみがあるかもしれない
利益誘導的であったり
とくに企業パビリオン
自社の商材などの広告
意図的に自社商品に万博的ポジティブなメッセージをのせようとしており欺瞞を感じる
パビリオンを建てられる大企業はそもそもスポンサーの立ち位置。であるからこそ広告的な取り組みとして成功しているのか気になるところ
企業パビリオンについては、少しでもなにか公にディスったら干されるという恐怖がうっすらある
意図が不明瞭だったり
落合パビリオンは多くの知人が関わり、特に目立った注目を集めており、だからこそ正当な批評が必要
体験のフローが複雑かつ、アプリのフィードバックが不親切
アテンドに業務負荷を押し付けるようなインスタレーション
あえてなのか上滑りしているAI生成による問答、しかもこれを進行するためにアテンドへの業務負荷がふりかかるという地獄のような状況
人間が自らAIの奴隷になっているようなイメージ
AIによる表現をしたいということを一義的に実現するために人間の労働を増やす矛盾
不透明で不誠実なメッセージ
全体テーマ「命の輝き」に対するかなり不穏な解釈
明らかに人間の一般意志のようなものを不要なものと論じているように聞こえる表現
鏡張り(伸縮するミラー、LEDを透過させるハーフミラー)の外観・内観など、それ自体がおもしろみをもっているのに、ピュアな現象にはあまり興味を向けていないような印象
ハーフミラーとLEDの関係を際出せた潜在的な演出空間に対して、意図を汲み取りづらい映像・インスタレーションが展開されるような
建築や部屋自体は好き、というかハッとする瞬間があったからこそ、もったいないと感じた
過去の落合作品と完全に地続きであるが、規模と公共性を強固に獲得しているからこそ、それまで好意的に評価された・批評性をもった露悪性が、完全なる露悪に転じてはいないか
単純な不快感が増幅されないか
万博がそもそもサステナビリティに反している
再利用している・できる建築部材は取り入れられているものの、ほとんどが会期後に撤去される
その後は、カジノ特区ができる
それに加担をすることになる
一部のパビリオンは資金を得て保存されたりするよう
万博自体への批判的な取り組みは布施琳太郎さんが鋭い 多くの人が関わり、責任を分散させた結果、無味無臭なコンテンツができがちであるが、その繰り返される行いの例
テクノロジー・アート的なものは万博で資金を得て、そしてその後すぐ廃れるというのを直感させられる
E.A.T.やCTGが衰退する流れを参照
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https://scrapbox.io/files/67ff0ec8ede1ea05385c9195.png
とくに落合館はアプリのUXがキツかった