📕『遊びと利他』
19
遊び/学びは明確に切り分けられないもので、きわめて連続的な営みだといえるだろう。
35
いくつもの遊びが展開していく遊具と、子供をコントロールして遊びが発展していかない遊具がある。
遊具のアフォーダンスの幅
遊ぶ方向を決めてしまう(幅を狭めてしまう)遊具が一般的
秩序を生みやすいから
教室も秩序を好むもんね
机の並びから
45
「私の思い」による利他的な行為が他者をコントロールして、支配する
これ、よくあるよなぁ。なんなら、経験豊富な教師の無自覚な常套手段。
相手に忖度させる形で思い通りに人を,動かしていく
最初は気持ちいいのだけど、だんだん息苦しくなる
ぼくより少し上のベテラン女性教師がよく使う
46
遊具が子供のポテンシャルを引き出すように、子供が遊具のポテンシャルを引き出す、という話はよいな。よい言語活動や教材も同じ。
物理的なモノが魅力的なのもこういうところだろうな
画面上のモノも同じ役割を果たせるのだろうか?
ANT(アクターネットワーク理論)と呼ぶ
非人間もアクター
50
遊具はメッセージを持っている
だから媒介物=メディア/メディウム
アフォーダンスとも
53
「遊びやすい空間とそうでない空間はどう異なるのか」
環境建築家の仙田満
遊環構造理論
そりゃまぁ余白ってことなんだろうけど、円いデザインが人と人とを出会わせるみたいなこともあるから、例えば座席の作り方とか、黒板の向きとか、デザインで解決できそうなことはいろいろありそう
76
確かに、3歳くらいから公園の遊具で「正しい遊び方」という規範を示されていたら、逸脱するマインドなんてどこで育つというのだろう。小学校なんかもっと窮屈だよね、一般的には。
冒頭に雑談を喜ばない大学生のエピソードもあったな
シラバスなんか(ry
110
ネット遊具が
(自身の)遊びが他者の楽しさになる
というのは大きいな遊びが個人で完結しない。間接的に誰かの人生に影響を与える与えている、という「つながり」みたいなもの
112
子供は周囲の視線から切り離された隠れ家スペースを好む
安心感
自由度
コスモスで傑作を書いた生徒を今もぼくは知らない
クリエイティブは、意外と隔離されたアトリエから生まれるものだ
120
子供は本来「危険なことが好き」
学校の教室は整備された都市公園以上に規範的
多様な動線を確保すること
124
子供にとって先生の存在は、遊びを深めるうえできわめて重要である。
アクターとしての先生の関わり
空間構造や遊具の設計が、いかに先生と子供の関わりを生み出しているのか
言語活動は、生徒が教師や関わらざるを得ない瞬間を創り出しているのか?
先生とは話したいけど、素直に行けないお年ごろ、なら尚更
もちろんALTに限らない
最近の公園は、大人と子供が交わらないような設計になっている
拙い第二言語同士でのコミュニケーションの場なんて、保育園の休み時間と変わらないよな。教師(保育士)が一緒に遊んであげなきゃ。
保育士の役割
手を差し伸べる
揺れを調節する
超早く追いかけてくる鬼
指導や評価とかの前に教室でできることたくさんあるよね
コペンハーゲンの廃材遊び場にはプレーリーダーがいた
その意味では、現代のSNSはもう楽しい場所じゃなくなってしまった。無法地帯になることも、ルールだらけになることも望んでなかった。
モデレーターがいればよかった?
177
階段があることで、まだ技量を身につけてない子たちまで分不相応な高さに登ってしまうことの意味
AIは階段なのか?
180
子供がワクワクす遊びを考えたとき、「安全な危険性」をいかに遊び場に取り戻せるかが鍵となるだろう
210
ネット遊具は他者と一緒に乗って跳ぶ方が面白い。
他者の遊びの運動は、予測不能な揺れを引き起こす。ほの