コミティア149
2024年8月18日(日)minimal子ちゃん スペース:B36b
そうしたらお店番とお買い物を交代して両方楽しめるはずだ
「憧れの椅子」か「100LDK」(短編漫画)のコピー本を出すかも。 https://gyazo.com/199e83a95e743fc1a50853db5f1db9c1
2024年から漫画を描き始めてコミティアに出すのがこの夏で3回めになるのだが、人に伝えるお話を作る過程で、疑問に思ったり うまいこと伝わらなそうだと思うポイントがあり、そういうことを通して、自分は割とFPS(ゲーム)みたいな世界観で生きてたことが発覚する感じがあり、だいぶ気付きがあって単純に面白い。 今回の挑戦
前2作品はプチエピソードをピボットするスタイルで作話したので、読み手の期待に応えないというか構成が曖昧な感じがする なので車を横転させて火事を起こさせようと思った
でも・・・クライマックスの認識ってそれであってるのかな?
絵的に派手な事件は起きているけど、受動的な状況変化への適応を自己分析などを通して努力する、というのは、巻き込まれに対する実務的な行動であって感情ではないから、なんかクソデカ感情や情熱で行動を起こさないと、クライマックスっていえないんじゃない? 共感・・・共感か〜
共感する瞬間に意識的に日々を暮らしてみよう ←いまここ
後記
3回目のサークル参加ともなるとキッチンカー的なスペースで食事を楽しむ余裕も出てきた
コミティア147(初回サークル参加時)は、一週間前まで怖くて席の確認ができなかったし、応募したときも「なんかの図柄を印刷した紙を束ねて出すことは一応できるだろう、けど、漫画としては...キャラが華倫変のトレス直出しになって→バレて→出禁 等の最速違反をかましたらどうしよう」というような気持ちがあった。でも漫画を描き切ることができたわけだ。1作目完成して、2作目も完成した。 そーやって、1作目2作目一応オリキャラのオリジナル話・・・が作れているんだけど、まぁ自分をキャラクターにして、自分に起きたこととその時の感情を描いているわけです。で、それが今の自分に描ける・・・というよりも「わざわざ描きたい」と思える、自分なりのクソデカ感情なわけだね。わざわざ描きたいと思えるというよりは、描くことでうまく処理できることを願っているというか(描かないとうまく処理できなそうだというか)。モヤモヤしていることに、オチをつけられれば納得できるだろう、みたいな。そういうのを漫画にして人に見てもらった。出したてホカホカで、つまりビジュアライズにあたってあんまり推敲されてはいない漫画。即時性だけがある、というよりは、自己セラピーのために描いているような。だから、正直いってアーカイブを前提条件に作ってるわけとは違う。 でもなんかいまは少しアーカイブする価値のあるようなものにしたいという欲がでてきている気がする。
今回は構成をきちんとできるようになろうという問題意識で作りはじめてるけど、「クライマックスとは何か」を考えて、考察間違いしたりしてるとき、「漫画を描くのって、現代文のテストっぽいところあるかもしれんな」ともおもう 初回参加時は東京の美術予備校の公開コンクールに参加したときの気持ちを思い出すところがあった
ただ、短編漫画のネームを最低20本描いて、そのうち気に入ったものを できたら3本くらい清書して新刊としたいと思っていたが、できていないので、コミティア150までにはできていたいと思う 打ち上げでpyopから聞いた「昔住んでいた家の近くのマンションに住んでいた、とっくに先に引っ越して行った動物病院の娘さんでアザラシに似ている可愛いお嬢さんがまだその場所にいるような気持ちがある」というような話がなんか思い出になっている アザラシに似ている可愛らしさというのが絶妙な想像可能性と間違い可能性があるところがいいのかも このままでは2024年の最も印象に残った会話になってしまう どれもどのcontextに紐づいているのかよくわからんがいろんな話をして、逆上がりをして楽しかった