安藤寿康『日本人の9割が知らない遺伝の真実』
アブノーマルの人がかならずこの社会にいる
この正規分布図というのが、この世の中の基本なんですよ。もちろん、そうじゃない部分もありますよ。例えば、世界における収入の分布なんかはほとんどが下の方に固まって、ものすごくリッチな人がドーンといるという形になる。まあ、これも正規分布のゆがんだ形ではあるんだけど。
だけど、身長だとか多くの生物学的な形質というのは、この正規分布になるんです。それは「ほとんどの人が凡庸、あるいは普通の人だ」という意味でもあるけれど、同時に「この両端のアブノーマルの人というのが、必ずこの社会にいる」ということでもあるんです。
そして、「そういう社会こそが『ノーマル』なんだ」ということを、いわば表明しているわけなんですよ。
岡田:なるほど。
安藤:ついつい私たちはアブノーマルがいるということを見失ってしまったり、あるいはそういうふうな人を異質なものとして排除したくなってしまうけど。でも、どんなに排除しても排除しても、結局は正規分布になって、アブノーマルが出てきちゃうという。
岡田:この社会の中に天才がいるのと同時に、愚鈍とか知的障碍者がいるのも当たり前だと。
安藤:いて当たり前。
岡田:いて当たり前なんだということを、認めようということに繋がるわけですね。この正規分布が、社会の在り方として正常なんだと。
性格も一次元の値で表される
General Factor of Personality
「GFPが高い人ほど、現在ついている職業や結婚に関しても満足度が高く、離婚しない」と。で、「GFPが低い人は犯罪を犯しやすく、鬱病にもかかりやすい傾向が出ています」
「外向的である」、「勤勉である」、「愛想がいい」、神経質というか「情緒不安定さ」というのは、質的に違うものだし、もともとバラバラに出て来るものなんです。これらを無理やり足し算したところ、「実態として意味がありそうだ」というのが、2007年くらいから言われるようになってきたという話で。
階級社会は必然なのか?
これはチンパンジーと同じです。放っておいたら、まず強いアルファオスが一番上になって、その中で、階級というか、能力の序列というのがでてくるというのは、生物学的に必然なんだろうけども。
それによって、「俺だって頑張ってるのに!」という不公平感とか不条理感が生まれる。「俺はこんなに頑張って農作物を作っているのに、どうして殿さまが持ってっちゃうんだよ!」という不条理感というのは、歴史上ずーっとあって。
でもみんな「これが当たり前なんだから」と思っていたのだけど、長い歴史を経て市民革命が起こってきたり、民主化運動みたいなのが起こってきて。「自然だったらできてしまう格差というのを、なんとか制度によって平等化していこう」という方向に、たぶん歴史が動いてきているんだろうと思うんですよ。
そして、「それが可能だ」というか「そうでなきゃいけない」というストーリーを僕達は共有しています。例えば、頭の良し悪しというものが努力の問題であるとみんな考えている。
「頭がいいというのはそれだけ努力しているからで、それが収入に結び付くのも当然でしょ?」、「お金をもらうのは、努力してきた僕にはその権利があるからでしょ?」というふうに思っているんです。
もちろん、その人がそれだけの時間を勉強に割いたのかもしれないけど、「その時間を割けるだけの素質と、それを与えてくれた社会制度というのがあったから、そうなったんでしょ?」ということにも思いを致してほしいと思います。
能力に恵まれなかった不運な人たちだって、社会の中でなんらかの能力を発揮しているわけだし、その人たちのおかげで我々は生きていけるわけです。能力のバリエーションをもうちょっときちんと評価して、こういう理不尽な差というのをなくしていかないと。
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知識を情報と言ってる限りは、僕はレンタルだと思うんです。情報を食べるように取り込んで、血や肉として自分のモノになって初めて知識が身につく。
岡田:いわゆる「訓練」というのが必要となる。
安藤:そう。まさに訓練です。教育は情報を与えることはできます。だけど、それはレンタルにすぎず、すぐ返してしまっては自分の内には残らない。「本をたくさん借りてるけど、自分の本棚には置かない」みたいな形になるんです。
ピグミー族に人間社会の原点を見た
岡田:つまり、「この社会の中にどんな仕事があって、どんな困っている人がいて、自分が何ができるのか?」、「自分が何をして、どんな訓練をすれば、それが伸ばせるのか?」、それらが可視化されていけば、さまざまな人にとって生きやすい社会になる確率が少しずつ上がるわけですよね。
安藤:それを探そうと、新しい職種に就こうとしても、今はさまざまな格差があって難しい。そこを何とかみんなで考えて、よい制度を作っていこうということになるのかな。