ヴォルフガング・ケルステン『クレー【大はしゃぎ】芸術家としての実存と寓意』
池田祐子 訳
■訳者解説より
本書は《Wolgfang Kersten: Paul Klee, Ubermut, Allegorie der kustlerischen Existen, Fischer Taschen-buch Velag, Frankfurt a.M., 1990》の全訳である
本書の意義を理解するために、簡単に従来のクレー研究のあり方をたどり、その中でケルステンがとっている立場と提出している問題点を確認しておこうと思う。
初めて書かれた単独作品についての作品モノグラフィーである
クレー作品の多義性・多様性を、ほとんど全ての美術史家たちが持ち出すにも関わらず、作品生成上のプロセスや作品成立時の時代背景の綿密な調査に基づいて一つの作品をここまで詳細に多角的に論じられたことがなかった
クレーは1万点余りの作品を残している
なぜその中から「大はしゃぎ」をえらんだのか
1939年、死の前年に描かれたもの
作品生成プロセスの多層性(赤外線撮影、レントゲン撮影で明らかに)
モチーフと類推される図像類型の多義性
作品タイトルそのものの多義性
『パウル・クレー-破壊、構築のための?』(1987年)においてケルステンは、このクレーの作品制作さらには造形理論における破壊的-創造的契機を、この時期のクレーの経歴についてのヴェルクマイスターによる詳細な検討を踏まえて論じている。これによって芸術家が芸術家たる芸術制作、その造形プロセスにおいて、クレーが歴史の中で芸術家としての自分自身を規定していくプロセスそのものがいかに反映されているかが明らかになり、同時にその際の彼の自己批判的自己反省的傾向が露になった。それは、「もっぱら伝記的、もしくは唐突に歴史に関係づけるような解釈」だけではなく、作品制作のプロセスの解明にクレーが残した造形理論をあてはめてきた従来のやり方に、大きな警鐘を鳴らすものとなったのである。