リレーの考え方
ぼくらが生まれたとたん、生んだ価値 ~ 「原徳」仮説とは?~
ちょっと前にYouTubeで、
「ビッグ・ダディ」の人生論を聞いてたんです。
(大家族のテレビ番組で話題だった、あの人ね)
ほんとうに、
「自分の頭で考えて生きる」
ということを徹底してきた人なんだなぁ、と。
思想にも行動にも、
すべてはっきりした理由がある。
それが面白くてね。
なかでも特に心に残ったのが、
彼の「人生の葛藤」が解消された
あらましでした。
かいつまんでいうと……
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●幼い頃、自分はとても優秀な人間だと思っていた。
しかし、進学するにつれ、
自分よりはるかに優秀な人間たちに出会った。
●凹んだ。
じゃあ、とくべつ優秀でもない自分には
いったいどんな価値があるのか?
●その悩みを抱えて、
答えがわからないまま生きていた。
●でも、
その答えをくれたのが、子どもたちだった。
●なぜなら、この子どもたちがやがて、
自分にもできなかったことを成し遂げるかも知れない。
そうじゃなくても、
この子たちの子どもたちが、やるかも知れない。
●そういう可能性を残せただけで、
自分が生きた価値としては充分だと思えた。
●そうやって「人生の葛藤」は消えていった。
●それだけじゃないんだけどね。
家族って、本当にいいもんですよ。
(要約責任・永井)
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ぼくはこれ、感動しました。
地に足のついた、血の通った思想だな、って。
もちろん、
「子ども」というのは一例だと思います。
たとえば、
何かを教えた後輩とか、
一緒に過ごした仲間や同僚とか、
自分の失敗から学んだ誰かとか……
残す影響や可能性とかの中身は、
どんなことでもいいんだと思うんです。
「バトン」
のようなものを、渡していくイメージ。
それが小さいものだとしても、
自分がゴールまでは届かなくても、
何も問題はない。
そう考えることは1つ、
ぼくにとって、大きなセーフティ・ネットに
なりました。
「はたして自分に何が残せるか」
という葛藤を打ち払う手段やヒントを
ものすごく明確な形でもらったと思ったんです。
そして、もう1つ。
逆のことも考えられるな、と。
たとえば、
「子どもを遺す」ということが
人生の価値の1つだとしたら……
その親の人生の価値を1つ、
ガッツリ成立させたのは、
「その子の存在そのもの」ですよね。
つまり……
ぼくらはみんな「誰かの子」です。
生まれた時点で、
世界や神様的なものから祝福を受ける……ように見えて、実は、
自分を生んだ人たちの人生を祝福している。
そう言えるはず。
ひとは生まれながら罪を負っている
とする「原罪」という考え方がありますけども……
実はそれとは別に、
生まれながらに達成している徳 ――
「原徳」みたいなものが、あるんじゃないか。
もちろん、
こんな話をしてもね、
親のことをどうしても好きになれない人も、
いるでしょう。
ただ、
ぼくらの誕生によって祝福された相手は、
直接の親に限りません。
じいちゃんたちやばあちゃんたちが、
「この子が生まれてうれしい」と
心を震わせることもあったでしょう。
「あなたがいたから、わたしがある」
ということは、
「わたしがあることは、あなたがいたあかし」
ということ。
そんなもん当たり前だって人もいるでしょう。
きれいごとにしか聞こえないって人もいるかも。
でも、
考え方とか好みとはまったく別で……
こういう、
「お互いに切っても切れないおかげ様」な関係が、
先祖とか子孫の事実なんじゃないかと思ったんです。
そんなわけで今回、
ぼくが「遺しうるものリスト」の
メニューが、更新されました。
「偉業」とか「作品」とか
「知恵」とか「資産」とか、
そんなすごい感じのものだけじゃなくて……
バトン
教師
部分的教師
反面教師
系譜
ギブス
名言
名言風
迷言
小言
世迷い言
肥やし
しかばね(超えていくやつ)
十字架
道
すごい足跡
ふつうの足跡
しょぼ目な足跡
血痕(笑)
……なんでも、いいのでしょう。
だって、
「何が長期的にはプラスになっていく」かなんて、
本気で誰にもわからないもんね。
生まれもって大きな徳を1つは成立させているんだから、
ぼくらは思ったよりずっと、自由にしていいのかも。
「自分が生まれてきた意味って何?」って
考えることもあるけど、
1番大事な意味は、誕生そのものなのかも知れません。 つらつらそんなことを、考えましたとさ。
ではでは、今日もお大事に。
「おとんの変だったところ」の昔話で、
おかんや奥さんと笑っていたら、
それだって充分ありがたい遺産だな、って思いました。