「情熱から成る仕事は美しい」を表現する
人生において熱中できるものがあることは幸福の条件のひとつ
趣味でもいいが仕事は人生の大半を使う
仕事とは価値提供または価値交換を作ることの総称
それぞれの仕事に唯一無二な美しさがある
パーパスを定める=その仕事の美しさの根底を言語化すること
パーパスをクライアントといっしょに作り上げていくことで「仕事は美しい」を表現する
クリエイターとクライアントの共創によって生まれる
「表現」する。かたちにすることに重点を置く
単なる広報支援ではなく、作品を作ること
オリジナリティの表出=美しい
オリジナリティを言語化することで属人性がなくなる
人を集められる
無趣味だった父は、定年後に畑仕事とDIYにハマった。孫たちのために野菜を作り、その経過を知らせるために最近は動画編集まではじめた。Instagramの新規おすすめユーザーに父が出てきたのには笑った。
人生において、熱中できるものがあることは幸福の条件のひとつだと思う。
熱中することは、趣味かもしれないし、仕事かもしれない。育児やボランティア、信仰に見出す人もいると思う。
働くひとにとっては、仕事は人生の1/3を占める活動だから、熱中できること、好きなことであれば幸福度は上がるように思われる。
しかしそうカンタンに言えない側面もある。
交換が全くの等価でできるのであれば、問題は起きない。好きな仕事で、幸せに生きていけると思う。
しかし、コミュニケーションは価値の交換(等価交換)手段なのに、価値の交換に向いていない笑 ある人がAだと思った状態で話しているのに、もう一方の人がBだと思っているなんてことが普通に起きる。
日本語で会話をしているから、同じ言語を使っているように錯覚してしまう。でも、人はそれぞれの経験に基づいた言葉を使って会話する。相手のことが理解できないのは、その人の心がわからないからではなく、使っている言葉の定義がすれ違っているからかもしれない。ついでに思考のクセも違う。僕らは言語ゲームを生きている そんなわけで、コミュニケーションをとればとるほど、小さな誤解、すれ違いが積み重なっていく。
さらに厄介なのは、仕事をする中でこのコミュニケーションのすれ違いを自分自身に対しても起こしてしまうことがあることだ。
ある時ふと「なんで自分はこんなことやってんだ?」ってなるアレだ。
これまで仕事をしてきて、熱中できる良い仕事があるとすれば、この壊れやすい条件のもとでそれでもパートナーやお客さんと向き合い、自分の「好き」と相手に渡す価値をすり合わせ続けることだと感じている。それがうまくいっている仕事はとても美しい。
きれいに通ったパスや、中継プレーみたいだ。
今「パーパス(社会的存在意義)」をテーマに論文を書く試みをしている。 論文という形態が面白い。
幸福な仕事っていったい何なんだろう?仕事に対する情熱ってどうやって自覚するんだろう?っていう関心にしたがって、過去の研究者とコミュニケーションを取るように書くことになっている。
なにがなんだか全然わからない。書けば書くほど、わからないことが増えていく。けど、めちゃくちゃおもしろい。
これを一生扱っていく感じがしているので、今めっちゃ情熱を注いで書いています。
負の側面について考えてみる。