WRM 21021/07/12
「読み手にギフトを贈る 人文的実用書に向けて」
本を読むことは強要できないが、問題を解決する地力を鍛えることは勧められる
結局気がついたのは以下のようなことでした。つまり、本を日常的に読むかどうかは個人の趣味であるが、何か問題にぶつかったり、知りたくなったことが出てきたときに、適切に本を選び、効果的に本の内容を利用できる力は、一般的なリテラシーであるだろう、と。
私が多くの人に主張したいのはそうした力を身につけることであって、たくさんの本を買い、毎日本を読む生活ではありません。これはしっくりくる切り分けです。
問題にぶつかってから身につけるのではおそいということ。
応用力が前提となる。
他の人にわかる文章で書くことは、慣れていてもしんどいんだな
10万字の文字をタイプするのがしんどいのではない。他の人にわかる文章で書くことがしんどいのである。
しかし、そうしたしんどさを経ることで、情報は第二の意味で「残る」ようになる。自分が死んだ後でも、その情報を読んだ人の頭の中にその情報が再生(ないしは複製)されるようになる。
贈与を持論のために説明するための「分かりやすい」文章の好例
まず現代は資本主義社会である。そこでは市場経済が動いている。市場経済の基礎とは、等価交換だ。あるものを買うときに、それに等しい料金を支払う。等号で結ばれたサービスと貨幣の交換。そういう売買活動が資本主義社会のベースであり、私たちはそのような活動を空気のようにあたり前に受け入れている。
贈与とは、そうした活動の外にあるものだ。あるいは少しだけはみ出たものだ。つまり、等号が崩れてしまっている形での交換である。資本主義の言葉遣いで言えば、贈与は受け取る方が「得」をする行為である。しかし、こうした言葉遣いでは贈与の本質は捉まえられない。
とは言え、スタート地点としてはよいだろう。そこでは等号が崩れていることをまず認識してもらえればいい。
贈与論についてまとめることがゴールではない
自分の論を進めるための応援として、この文章を書く。つまりわかりやすくするために書いている。
だからこれ自体がわかりやすい文章でなければならない。
そういう目的を持った文章だということ。
本は優れた贈与である
「贈与は等価交換ではなく、受け取った人が支払った分以上のものを受け取ったと感じるときに見出されるものである」
加えて送り手が不明だったり、遠い方がわかりやすい。
送り手が明らかで身近な場合、すぐに返礼できてしまうからだ。
それでは等価交換の形になってしまう可能性がある。
オンラインサロンという形式がいかにもビジネス的なのはそれが理由だ。
主催者と距離が近い、というか近距離なコミュニケーションを前提として成立している
そして、『世界は贈与でできている』の議論を引き継げば、現代社会が等価交換を前提にすればするほど、こうした「つり合っていない」情報のやりとりは私たちにとって印象深く心に刻まれることになる。奇異なものとして、差異が露出する。
だからこそ、情報を受け取った人も行動を起こしたくなる。誰かにその情報を伝えたくなる。そこで行われる情報伝達もまた、同種の贈与性を帯びるならば、この拡散は無限に広がっていく。人の手から手へとつぎつぎに拡散していく。
ちなみに、「情報の拡散」のイメージは、現代では同時代的な話題の広がり(つまりブーム)が想起されやすいだろうが、ここでの含意はもっと「ゆっくり」したものも含まれている。親から子へ、上司から部下へ、親方から弟子へといった時間をかけた情報の伝播でも、口コミと似たようなことが起こる。自分が受け取ってきたからこそ、次の世代へと手渡すのだ、という気概が生まれるのだ。
おそらくその点が、ねずみ講的なものとの大きな違いだろう。ねずみ講と違って、情報がどれだけ広がっても最初に口コミを行った人に経済的なリターンがあるわけではない。というか、誰がそれを行ったのかすらわからないのが一般的であろう。情報の受信者は、ただ「自分が受け取ってしまった」から、情報を別の人に手渡すのである。そうした活動で何かしらの経済的なリターンが生まれるにせよ、それは副次的なものであって、目標ではない。
だからこそ、この情報のバトンは「子どもにいくほど、利得が少なくなり、やがては得られなくなるので破綻する」という構造的上限を持たない。可能なかぎり、それは続いていく。
等価交換にはそのような関係性の持続がない。売買が終了した時点で、買い手と売り手の関係性は解消される(むろん、返品といったことで再びそれが結ばれることもあるが例外的である)。言い換えれば、等価交換では人間関係に思い煩う必要がない。買い手は、買い物が終わった瞬間に自由になれる。
その自由さと、貨幣の「色」のなさ(無色さ)があるがゆえに、私たちは資本主義=自由市場の中で気ままに買い物ができる。お金さえあれば、ややこしいことを考えなくても、消費を満喫できる。
ブックカタリストでも罰金制にすると幼稚園のお迎えの遅刻が増えた例を紹介していた。
ウリ・ニーズィー、アルド・ルスティキーニ