WRM 2021/08/09
「鎧を捨てて文章を書く」「新書で書く、ということ」「読者は無力ではない」
~~~工夫について~~~
私は「工夫」というものが好きです。自分で工夫するのも好きですし、他の人の工夫(あるいは工夫の跡)を見るのも好きです。
その理由の一つには、そこに「人」が感じられる点があります。もっと言えば、「その人」がいると感じられるのです。
工夫に人を結びつけるのは面白い。小学校の図画工作、創意工夫展を思い出した。なんか完璧じゃない語感がある。かわいい感じ。これ大事。
人が置かれた環境があり、その人が抱える課題があって、その関係をうまく調和させようとする試みが工夫だとするならば、その人の自我によって環境全体を書き換えるような不敵な試みでも、あるいは置かれた環境にすべて身をゆだねるでもない、中間的な在り方が「工夫」なのだと言えるでしょう。そして、その中間的な在り方にこそ、「その人」がにじみ出てくるのです。
日曜大工が好きだった祖父は工夫が好きだった。「勘考する」とよく言っていた
~~~アウトライナー論への期待~~~
他者から見れば、ライフハックは「手軽に試せる小さなテクニック」でしょうが、当事者から見れば「自分でできる小さな問題解決」です。そして、その積み重ね(あるいは継続的な改良)こそが、ライフハックの神髄であると個人的には思います。
そうだ、これはもともと手段。それ自体が好きすぎて、趣味(手段の目的化)になった人たちがいるというだけ。
■結果的に生じる相対感
さらに言えば、そうした議論をくぐり抜けることで「方法」の絶対感が薄れたこともあります。野口悠紀雄は、立花隆を援用し、梅棹忠夫や川喜田二郎らの方法を批判していました。私は出版された時系列とは逆に野口→梅棹の順番で読んだわけですが、そのことによって、私が梅棹の本を手にするときには「野口によって批判されていた本」を読む、という心構えが生まれていたわけです。当然、本の読み方も変わってきます。
刷り込まれた価値観がどうやら違うと気づいてからそれを捨てるまで。しかもその価値観が優しかった場合それを捨てるのは難しい
#WRM #倉下忠憲