✎この場所を「みんなの日記」にしたい計画について
このサイト(scrapbox)の特徴は、キーワードや記事同士を簡単に関連付けることができるというものです。
例えば日記のことというリンクを貼れば、この言葉が出でくる他の記事が紐付けられて表示される(この記事の一番下、欄外を見てみてください)。 18年くらいほそぼそとネットで日記を書いているけれど、書かれた出来事や考えたことはあとから見返されることもなく、ちりぢりに風化してゆく。日記なんてそんなものだと割り切ろうとしていたけれど、その断片をもう少し意識的に今の自分の関心事や感覚のなかに引き寄せられないか、そこからまた考えや感触を深めることはできないかとも考えていたので、この仕組みはなかなかいいな、と日記を書く場所としてひとまず定めてみました。
最近読まれた記事が上位に表示される設定にできて、訪れたどなたかが興味を持って選んで読んだ記事が先頭にあがってくること、つまり自分の意思とは無関係に過去記事がシャッフルされることも面白いなと感じています。
日記を書く場所(noteなのかsubstackなのかmediumなのかはたまたはてななのか)、日記を書く形式(毎日書き散らすのか週間でまとめるのかたまにどうしても書きたいときにだけ書くのか)も色々考えて迷っていたけれど、この、リンクされていつでも読み返すことができる仕組みがあれば、あとからまた書き足したりふくらませたりすることが容易にできるかもしれない。それなら気軽に書き散らすことができるだろうという風にも思っています。
私はどうも、色んなひとの何気ない日記を読みたいという欲求があるみたいで、アパートメントというウェブマガジンもそんな理由もあってはじめたのだけれど、このscrapboxの仕組みを使ったらもっと雑多に、でもただ毎日更新されるというだけでない横のつながりを持ちながら「ある日」を行き来することができるんじゃないかなという気がして、だから誰か一緒にここに日記を書いてくれないかな、というふうに考えています。 アパートメントではその記事の主役は記事を書いたその人であったけれど、もしも大勢の人が日記をここに書いてくれるなら、主役は「ある日」ということにになる。
ひとつひとつの日記にはもちろん書いたその「人」が表れ出るのだけれど、「□月○日」というリンクをたどれば日記の数だけ、「ある日」が多面的に広がっていく。
私が過ごしたある日は他の人にとってどういう日であったのか。
自分ひとりが過ごすことができる一日には限りがあるけれど、他のひとの「ある日」の風景も自分のなかに息をすることになるかもしれない。
読んだ人の胸の中にも今日という日が思い返される。
そんな連鎖がふくらんでいったら面白いなあと思っています。
さらに、というかもともとこのscrapboxの特徴である「キーワードで繋がる」という特徴を通じて、主役はその「あるキーワード」にもなりうる。
つまりこれは小さなwikipediaのようなものなのだけれど、そのwikipediaに綴られるのは知識や情報じゃなくて「誰かが見て、感じた」個人的な視線の集まりであるということ。
5年前のある日に誰かが話題にしたことを、今日私が話題にして、そこに書かれていることを読み比べるのはなんだか時間を超えるみたいでわくわくする。
しかしそれにはある程度の人数/年数を続けていかないと面白さが見えてこないとも思うので、ほんとうに誰かと一緒にできるのかな?どんな風に?ということを考え、さぐるためにも、まずは自分ひとりで試しにここを日記置き場にしてみます。
私は管理能力も高くないし、プロジェクトの柱になれるような気質でもないし、お金を扱うこともからきしだめ、計画性もない、将来を見通す力もないので(8年間アパートメントを運営して痛いほど思い知った)、やっぱりここはひとりきりで続けるのが良かろう、という結論におちつくかもしれない。
でもまあ、時々このアイデアを取り出してみて、興味を失わないままでいるならば、一緒に日記を書いてくれませんかと声をかけるかもしれません。