2026-04-29
自分がどんなに追い詰められているかを知ってほしいあまり相手を試すようなことを言ってはいけない。
その時は真剣だったからもちろんそんな計算はなかったけれど、すべての箱を開けて並べてみたあとでは、一番大事なものに比べたらそれは子どもの戯言のようなものだ。
でも本質しか見ていない人にとってはその子どもの戯言も重たく深く突き刺さる。戯言を言うこと自体が、そのあいだにある信頼を奪い取る行為だから。
私は更地になるまで粉々にしないと気が済まないところがある。粉々にしても立ち上がってきてほしい。でも私が破壊したのが体面とか意地とか思い込みとか自意識とかではなくその人の核となる部分だったら?私は核となる部分をさらさずにいることで粉々になったふりができた。でも目の前のその人はそうではない。私よりももっと剥き出しのままそこにいるのだった。
私が洞察を欠けばいつでもそのひとを孤独に追いやれる。
本質に近づきたいくせに、それを乱暴に壊してしまうんじゃないかと恐れるから、距離をとって眺めるだけにしてしまう。人に対しても、自分に対しても。
揺さぶって粉々にして、ほんとにお前は潔白かよ、と確かめないと気がすまないのは自分の目を信じていないし、盲目なことを自覚するあまりどこかに恐れがあるからなんだろう。
そう考えたら、暴力をしかけたのは紛れもなく私のほうだ。
Netflixで『地獄に落ちるわよ』を見ている。細木数子を演じている女優さんの存在感も悪くないし、衣装やセットも美しい、音楽も効果的、映像の辛抱強い感じも良い。作家役の女優さんの掠れた声も好きだ。
とはいえ、実在の人をこういう風に描くのはどんなかたちをとっても誰かの真実ではなくなるんだろう。