2026-04-21
女の手仕事には遊びと楽しみがつきものだった (女の手仕事)
ご飯の支度をしながら出来立てのおかずをひょいと口に運んだり、洗濯をしながらカエルの声に耳を傾けたり、磯で貝を取るにも 無数の生きものが立てるざわめきに包まれる。
今は洗濯をするのも食べ物を手に入れるのも簡単になっている。本来なら自分でするところのそれをほかの誰かに任せているからだ。そしてそのほかの誰かというのはもしかしたら人間ですらないかもしれない。
昔は水道も洗濯機も電子レンジもガス台もなくてどうして家事をしていたんだろう、生活するだけの仕事に忙殺されていたんじゃないかと考えていたけれど、そうか、それぞれの仕事にはそれをすることでの楽しみもまたあったのだった。
庭木を切ったり皿を洗ったりひどい汚れものは手で洗ったり床を拭いたり、そういう体を使った仕事は大変ではあるけれど作業に夢中になるなかで何かしらを考えたり少しずつ手が滑らかに動くようになるのを感じたり、本筋をそれた寄り道の体験をしたりする。作業が終わるまでの苦痛の時間というわけでは決してない。もしそう感じるとしたらそれはその仕事を自分ごととして引き受けようとする気持ちがないからなのかもしれない。自分の人生のなかのひとつの瞬間であって、ただ過ぎるだけ、結果を得るための無駄な空白などではない。
レントゲンとエコーの結果を持ってジェネラリストのところへ。腱や神経が無事ならこれ以上細かい検査をせずにキネに行けますかと聞いたら、MRIは必須事項かもしれない…とつぶやきながら調べてくれて、結局直接紹介状を書いてもらうことになった。初診料も払っていないからまとめて払いますと言ったのに診察料はいらないと言う。いや駄目です、時間をとって診ていただいたんだから払いますと言うも受け取ってもらえなかった。どういうことなんだ。そんなことで良い訳がない。どうやってお返ししたらいいの。
午後は久しぶりの友人に会う。待ち合わせ場所には彼女の友人の植物を使うアーティストもいた。どんな作家なんだろう。expoをしているみたいだから覗きにいってみようかな?
カフェは大きな焙煎機が店内にあって、搾取しない形で豆を輸入している。その日おすすめのエチオピアの豆をノワゼットにしてもらった。細かく挽いてもらえるなら家で飲むエスプレッソのために買ってもいいな。今度訊いてみる。
来年のプロジェクトを提案してもらった。彼女とはいつか一緒に何かできたらいいなと思っていたから、これが出だしになるといいな。コントラバスや弦楽器に興味があるのかもしれないから、誰かみつけておこう。
こんなふうに、暗くて寒い冬を抜けるとみんなが動き出す。