2026-03-19
世界がイスラエルとアメリカを批判する流れになっているにも関わらずこうまでしてアメリカに追随することで、日米の間にある関係はまったく同盟などではなかったのだということが露呈している。もちろんそれは既に世界中が知ってはいたのだけれど、表面上は同盟国であるということに一応なっていたと思う。でもアメリカはもうその建前を守る態度をかなぐり捨て、今はどこまで日本を揺さぶれるか、どこまで本来の家来としての役割を全うしてくれるかを試している。世界の目の前で。
ここでどういう態度を取るかに、これから経済的には確実に急激に傾いてゆく日本の未来がかかっていると思う。
ガザやレバノンやテヘランに攻撃があって人々が亡くなるのも耐え難いけれど、イスラエルの人々が攻撃されて亡くなるのだって耐え難い。イスラエルのやり方は許せないが国と国民とは別だ。そんなこと言わずもがなだけれど、それなのに、イスラエルが国家として痛い目を見ない限りこの虐殺は終わらないかもしれないなどと考えてしまうことがある。国が痛い目を見るとは市民が苦しむということに等しいのに。
戦争はこのように根本から歪んでいる。歪んだ土台にある正義も理も虚構だ。
世界には紛争が絶えない。その殆どを私は注視せずに過ごしている。そんな人間が「戦争反対」なんて言葉を掲げてもな、とも思うけれど、そんな場所にいる人間くらいしか理想を叫び続けられないかもしれない。綺麗事と言われてもいい、言い続ける。戦争に断固反対する。戦争は罪だ。戦争を誰にも味わってほしくない。どんな人のことも、どんな理由があっても、殺して良い状況を作ることに反対する。
自国の政治の歪みを他の国に訴えて安易に解決しようとすることは、他国による独立国への介入を許す事態に繋がりかねない。
世界のあちこちが戦火で焼かれている中、その混乱に(まだかろうじて)巻き込まれていないにもかかわらず自立しないでいる情けなさを自覚しなくては。
#戦争
世界中で相次いで起こっている紛争をタグ付けしようとして、「社会問題」…?じゃ広すぎる。では「戦争」か?「紛争」の方がいいのだろうか。でもガザのことは戦争と呼べるのか、かといってパレスチナ問題と呼んでしまえば現在のイランでの紛争まで繋がらない。どちらもまたげる呼び方はないか…など考えてしまって、ぞっとする。
#03-19