2025-11-16
北アフリカからの野菜(タロイモとかサトウキビとか紫芋、オクラやマンゴー、いろんなにんにくや生ウコンなど)を売っている八百屋さんは毎週温かく挨拶してくれるので、しばし立ち止まって会話したりする。毎週大したものは買わないのに(今日はさつまいもと塩鱈、生姜とマンゴー)にこやかに接してくれて嬉しい。今年は手作りジャムもあげた。さすが商売人、ちゃんとこちらの話したこともある程度は覚えていてくれるなあなんて思っていたら、お客さんの大半はBonjourも返してくれないのだという。私たちは毎週握手までするので彼をこういうコミュニケーションをする人懐こい人なんだと思っていたけれど、誰にでもしていることではなかったみたい。
自分が自分の感覚できるところで掴んだもの以外のことを、まるで自分の庭のことのように言うということがよくわからない。ぱっと取り入れた知識がまだ血肉になっていないうちに既知のことのように話すには、ずいぶん自信たっぷりだなあと思うことがよくある。そのことを非難しているわけではなくて、「知る」ということの奥深さについて考えてしまう。知ったかぶりや思い込みが大事な段階もある。でもそれを疑う時期もまた大事。自分を疑う機会があまりなかったんだな、でもそれはやっぱり、良いこととも悪いこととも言い切れない、のだけれど、ある程度の年齢の人だとそれはやはり今まで生きてきて何をし、何を見聞きしてきたんだろうなと思いながら、話を聞いている。
#11-16