2025-10-02
インタビューを受けて、その中で自分がどうしてもそういうかたちでは言葉にしたくないことがあると伝えたことで、では果たして私は本当にその感覚、信念のもとでここに書いているだろうかということを顧みた。ここのようなほとんど誰も訪れない場所は私のプライベートな手帳と大した変わりはないようにも思われるけれど、それでも公開して「来てね」ということにしておりどなたかが覗いてくださる場所にしている以上、「ほぼプライベートだから」などと言うわけにはいかないはずだ。今日は観客1人だから自分にもコントロールできてないやつやっちゃおかな?と言うのと同じで、失礼極まりなく、あってはならない。
つい文句の多い日記になっていて大変申し訳ないです。
今日は大きなストライキの日なので予定はキャンセルされ家にいることになった。旅のあとの生活に関わる片付けはあらかた済んだので、いつもの習慣を取り戻すような整理をつけたい。今年の目標に向けて最後の舵取りをするとか、そういうこと。
昨日はずっとその方の作品を公の場で見たい!と思っていた展示に伺うことができた。多くの人が見るといい、きっとこの世界観を好きな方はいるはず、という思いからウェブマガジンアパートメントにもお誘いしたことのある方。
思い切り読みたいと思っていたのになんだかそうもいかなかった。なぜやるべきものごとを遠巻きにぐるぐるめぐるような手の付け方しかできないんだろう。下準備とか、フォルダ整理とか、そんなことどうでもいいのにな。核心を付くまでにもったいぶってしまうのは何なんだろう。時間に余裕があるつもりなのか。
ともあれ、平常時の状態にリセットはできたかもしれない。
ちょっと思い立って📖『謎のアジア納豆:そして帰ってきた〈日本納豆〉』高野秀行(新潮社)を再読。
以下個人メモ
/amayadorinote/✏️5débutant
#10-02