2025-07-05
昨日のコンサートは多くの人が来てくれて、喜んでくれてよかった。
10年Sの音を聞き続けているけど今でもこんなところがこんな微妙な形で変化しうるんだ、ということに驚く。自分の音楽を地道に研究している結果がちゃんと音に出ている。
コンサートは曲の編成によってもお客さんを誘導することができる。静かに景色を見せるのか、グルーブに乗せてぐいぐい引っ張るのか、それはダンスの舞台を作ることにも似てる。体験と時間が積み重なることを無視して構成することはできないという点で。
何だかこのところ携帯で意味のないものを見続けてしまう。なにか焦っているのかもしれない。焦る暇があるということだ。
彫刻をしてる友だちと話す。話している間に、彼女の作品に感じているのは肉体でもあるんだけど、もっと言えば鍾乳洞なんだなと気づいた。いっさい水分のない素材なのにしっとりとした壁の響きを感じる。その表面はおもての面ではなくて、内側の面なのだ。表面なのに同時に内壁なんだと思う。
私も何かに触ってみたいと思う。肉体でやる、かたちの残らないものでなくて、気の済むまで触って、ここだと思ったらやめてみたい。そうしたら何かそこに在るようになった、みたいなことがいい。粘土なのか?膨大にあるものがいい。布でも紙でも、形が変わるもので跡を残してくれるもの。息切れするほど格闘できるもの。なんだろう。わからない。欲だけあってそれ以外は見えない。