2025-06-30
6月最後の日。
今日は36℃、明日は40℃まで上がる予報で周りの人たちは戦々恐々としている。
私は大丈夫。さすがに40℃はしんどそうだけど石造りの我が家は朝晩は寒いくらい。
そういえば岩を掘り抜いた家に住んでいる人に会った。年間を通して家の中は14-19℃くらいなので冬は温かく、夏はかえって寒いくらいらしい。古くからあるものは古代の人が堀った家なので考え抜かれており心地よいが、それに似せて新しく作られたものは湿気も多く住みづらい場所もあるとのこと。
昨日の稽古、企画者(Jとする)がぜひとも引き込みたいと考える音楽家を交えてのものだった。まだはっきりとした筋立てがなく稽古も2回目なのだけど「ある程度出来ている」風に振る舞う必要があり、Jの動きを見ながら即興で場面を遷移させてゆく。
即興は相手に合わせてばかりではいけない。ハーモニーと追随は違う。受動するばかりだと踊りの何もかもが後手になるし流れが一方からしか生まれないと密度が均一になってつまらない。壊すことを怖がっているとそこには何も起こらない。責任を持って突破し、回収を見守る辛抱強さも必要。受け取り、影響されることは悪くないけど、真似ているだけでは世界の蕾にならない。
結果彼女とは即興で舞台をやるべきではないなと判断する。振付を決めたほうが活きる。私は逆に振付が苦手だけどできないことはないので、そちらに寄せることにする。
Jはこの音楽家の名前が書類にあれば有利になると考えているよう。高名だし、それに世界各地の楽器を持っているので音源の幅も広がると思っているみたい。
彼の音楽はそれひとつで完結している。もともと演劇の音楽を作る人なので景色がはっきりと見える、物語がわかりやすい形で示されている音楽を作るのが得意。身体だけの表現をその音楽に入れようとするとかなりこちら側に強烈なものがないと吊り合わない。アクの強さというか…もしくははっきりとした物語を持っていないと、音楽だけが浮き上がってしまう、または身体の方が安っぽく軽率に見えてしまう。ギャップのある音楽を使うにしてもそういうシーンが効果を持つのは2つくらいまでだろう。
能の歌が流れたら日本を想起するだろうし、中国の楽器が鳴れば中国の雰囲気を待ってしまう。その中で私たちがやろうとしている割と抽象的なことをどう成り立たせるか…もちろんできないことではないけどかなりの手腕が必要。私はあまりそういう記号的にはっきりしたものを使いたくない気持ちもあって考えあぐねている。紙芝居とか東南アジアの人形劇、影絵劇のようなものしか頭に浮かんでこない。もちろん私の力量や経験不足のせいでもある。
今までのJの作品を見る限り、創作に他者のアイデアをうまく取り入れて応用を利かせるタイプとは思えない(悪く言っているわけではなくて、あくまでも創作の傾向の話)。かなり難しいことにチャレンジしようとしていること、それが自分の苦手分野でもあることに気づいていないことが少し心配。今飲み込んでもあとで揉めることになる。
Jも音楽家も二人とも呼吸が短い(それが二人とも即興のできない原因なのだけど)。5分かけて見せたらいいものになりそうなものを20秒で息が続かなくて場面転換しようとしてしまう。そうして次々に新しく珍しい音が鳴らされる。これはメキシコの楽器、モンゴルの楽器、ウズベキスタンの……音のコレクションはもちろん楽しいけど、私が音楽に求めるのはたったひとつの音が輪郭を震わせ、雄弁に語り、消えても存在がそこにあるような、そういうこと。そういう意味では、音の質に対するこだわりが私とは真逆なのでここからどうイメージを膨らませたら良いか今のところ分からない。無関係なことをしてその落差で面白味をつける…以外の想定が今のところできないが全編でそれが有効なわけはないし。
私は稽古で手合わせした時点で相手がどういうタイプでこの舞台上でどうハーモニーできそうかを肌で察しながら進める。向こうがこちらをどれだけ観察しているか、または自分が立っている場所から動かないつもりなのか、手数がどのくらいか、視線の粒度はどのくらいか、目で見えない場所のことにまで勘が働くのかどうか。
その人がプレイヤーなら(つまり振付も音楽も演出も作る側でなくてただ踊ったり演奏したりする側)ならばこのうちのいくつかは意識が及ばなくても気にしないのだけど、一緒にクリエイションするとなれば話は別だ。
長く確かなキャリアを持った方にどう伝えれば良いかが難しい。日本語でも難しいのに。
しかもボスは私でもないし。それなら放っておくこともできるけど、せっかくの舞台はいいものにしたいし悩ましいところ。
読んでいる。
ローラン・ビネのこの作品やバスク地方の小説を続けて読んだ話をしたらなぜあなたがそこに興味を持っているのかとてもおもしろい、と友達に言われた。どうしてなんだろう。ただ2023年にヴェルダンに行ったからかもしれないし、2004年にベルリンに住んだからかもしれないし、2019年にフランコ政権下のラジオを相続した友人の話を聞いたからかもしれない。そして今イスラエルがパレスチナを蹂躙しているからかもしれない。 だいぶ読み進めて74章目(23%)。
作者は、ヒトラーのこの後の道を開いたのは英仏の二国であるという態度らしい。