2025-05-14
天気のいい日。
久しぶりにみなさんのCosenseを読みに行く。
福尾匠さんの日記についての動画を見て、日記って、というよりは私にとって日記のようなものとは何なんだろうなあとぼんやり考える。 私にとってこういうふうに書くのは、振り返りのためでも、自己肯定のためでも、習慣化のようなことのためでもなさそうだ。
2003年くらいに日記をインターネットに書こうと思った時、私はただ自分の基地を作りたかった。私の好きなものが全部詰まっている場所。それを楽しんでくれる人がいれば遊びに来て欲しいし、私も遊びに行ける場所があれば楽しい。
そういえば今この場所を「基地」などと名付けてるな。はは。びっくり。…でもないか。変わらないだけ。
自分が考えたり、迷ったり、分析したり、新しい感触をねりねりしてみたり、だからここは私にとっても誰にとっても何かの役に立つようなことは何もない。
読めない、とか書けない、ということをことさら悲しむこともなくなった。書きたければ、読みたければ、きっと私はそうするだろう。それより優先させていることがあるというだけ。それがたとえだらだらするということであっても、疲れすぎているということであっても、自分が選んだ結果だ。私は何かを選べない立場にいるわけではない。選べない立場にいる人の前でそんな泣き言はいえない。
ビーツをラペして食べるのは好きだけど手が真っ赤になる。うちのラペする道具はあまり便利にできてなくて刃も鈍っているので切り口がぎざぎざ、余分な赤い汁が出てしまう。でもこの鮮やかな色を食卓に並べるだけで元気になる。
https://scrapbox.io/files/6824d446f4c6f68a1b740ddb.jpeg
書いてあることそのまんまやないかい!と言いたくなる部分もあるけれど、書いた時には自分でも気づかなかった、通底するようなテーマに触れているのは面白い。
とはいえ、自分の日記に関してはそれ以上のものではないかな。
多分自分が読むのに苦労する記事とか本、それから語学学習とかには助けになってもらえそう。