2025-03-20 今日の愚痴、トットちゃん、世界大戦のあたりのことを最近読んでる
ーーー(以下、愚痴なので飛ばして読むと良いと思う)ーーー
ChatGPTの言うことを「真実」としてその上でものを考えることがこんなに早く浸透しているのにびっくりする(もちろん一部にということだけど)。AI画像は本物らしく見せることは得意だけど本物ではない、ということは周知のこと、目で見てはっきりわかることだと思うのだけれど、文字情報のほうは本物だと思うのだろうか。Twitterもそうだけれどそもそも自分が見たいタイムラインを作っているのだという前提を飛ばしてものを考えている人が一部いて、というよりはそういう前提まで視野を広げてものを考える習慣がないのかもしれない。
とはいえだったらどんなソースをどこまで辿ればそれを「真実」だと言えるのかと問われればそれで悩んでしまう。どんな資料を選んでも、その「選ぶ」行為をしたのはそもそもわたしで、自分が手にできるソースには絶対に限りがあるのだから。
お互いが持っている前提をなんとなく推し量るところからコミュニケーションは始まると思うのだけれど、そのあたりを全く重要視せずに生きている人によく出会うようになった。
とあるフランス語の先生は生徒がもともとどのくらいフランス語を理解しているのか、生徒の反応から何がわからず何は分かっているかということをあまり測れないみたいだったし、友人も「私、今日、〇〇という本を読みました」くらいしかフランス語が話せていない段階の私に哲学の話を日常生活ではあまり使わない単語や比喩表現を交えて話してきたものだったし、鍵を忘れたと言うので家に入れなくて困ったねと言っているとしばらく考えてから「家にあるから取りにいけばいい!」と言うし(鍵は家の中にある=家に入れないことが結びつかない)、そんなふうに相手が私の前提をどのくらい推し量ろうとして話してくれているか分からない、下手したら本人が自身の前提すら見誤っている可能性がある、その上にコミュニケーションを取ろうとすると必要以上に多くの可能性を考えながらやりとりをしなければならなくなるわけで、非常に疲れる。
私はもともとそのあたりを必要以上に汲もうとする性質があるので、「このひとがこうであるならこうする、ああであるならああする」と多くの選択肢を同時に持ちながら会話をしている。しかし最近は「こうである」のその前提に確信が持てないので(だって直前に言ったことを5秒後に忘れて物を言うから、「ああこのひとたった今言ったことを忘れたんだな」と思ってそれに合わせて行動した私に対し、相手は自分が忘れていたことすら忘れているためにむしろ私がおかしな行動を取ったみたいになって「は?どういうこと?」みたいな反応を返してくる、もうここまで来るとどこまで遡って説明したら良いか分からない)事前にこう言っておくべきか?まず自分が相手の行動に対していくつかの仮説を立てたことを説明するところから始めなければならないのか?それをフランス語で?日本語でも難しいこれを、感じ悪くない文章にできるのか?
…非常に、非常ーーーに、疲れる。
気持ちいい天気の日に愚痴を書いてしまった。タイトルを「今日のメモ」じゃなくて「今日の愚痴」にしたほうがいいかもしれない。
ーーー(愚痴終わり)ーーー
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📖『続・窓際のトットちゃん』黒柳徹子(講談社)
読んだ。あまりにも何度も読んだ本だったので続きを読むのに少しどきどきしたけれど。
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キルメン・ウリベの『ムシェ』がとても良かったので『📖『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』キルメン・ウリベ』を続けて読むことにする。
#03-20