2025-03-12 変化、『ロングレッグス』見たいな
この頃クラス中に、言おうとしてなかったところに手を伸ばしてしまってもにょもにょしてしまうことが増えた気がする。きっと、これが分かるともっと面白いしもっと楽だしもっと自分なりの追求ができるよ、という部分に足を踏み入れて欲しい気がしているんだと思う。かといって迂闊な言葉を使いたくない気持ちもあるから無意識に口が止まる。納得行く準備をするしかない。
-
史実なのか、史実を元にしたフィクションなのか分からないあたりにある物語が好きかもしれない。
-
好奇心について話す。
頭で考えられたことはいざ体や物を目前にすると2割も実現できないことについて話す。
ある一定の数値化されたものしか評価されない世界のこと。
請求書と領収書を支払いの前に一緒に出さなきゃいけないのは意味がわからないということ。
このごろ水道の水が薬臭いこと。
もうそろそろ夏時間がはじまること。
携帯電話やネットというものがない世界とある世界のこと。それを知る最後の世代になるのかもしれないということ。
先日食べたマンゴーがまだ硬かった、マンゴーは硬いまま腐ることはないからやっぱり柔らかい手応えになってから食べたほうがいいよねという話。
何故仕事のメールが平日2日待っても来ないんだという話。
何故仕事でもないボランティアで参加しているプロジェクトのメールを1時間返信しなかっただけでやる気が本当にあるのかと責められなきゃいけないのかっていう話。
フランスにいると文句や愚痴が増えるねっていう愚痴。
-
映画『ロングレッグス』の監督、オズグッド・パーキンスのインタビュー面白かった
私の仕事は、できるかぎり最高の脚本を書き、最高のキャストとスタッフを雇い、そして彼らに任せることだと思っています。演技とは、役者が自分の根底に潜り込み、本質や精神を発見し、役柄の人生や真実を表現することで他者と分かち合う行為。車の運転などとは違って、誰かが指導できるものではありません。
だから私は役者に干渉しないし、怒鳴らないし、嫌な気分にさせようとも考えない。言ってしまえば、彼らのやり方には関心がないのです。ただし、自分が見たものを監督する仕事ではありますから、とにかくじっと見ているし、素晴らしい演技ならばそう伝えるし、よりよく見えるよう工夫しています。
自分のアイデアは役者に植えつけるものではなく脚本に含まれるべきもの。そのために、いつも膨大な量のあらすじを予め書いておき、脚本の執筆中は逆にあらすじの要素を取り除いていくのです。そうすると物語の本質だけが残り、その背景に意味が生まれる。俳優は、人物の感情を言葉にするのではなく、役柄の背景や秘密を演じたいと思うものです。現実の人間が本心を口にすることなんてめったにありませんから。