2025-02-08 書類のための考察
珍しく理由もわからぬまま眠れなくて、布団の中で友人とのクリエイションについて考えたりした。もういい加減書類を書いて提出しなくてはならないのだ。
ミーティングや稽古を何度か重ねているけれど、どうも私はこの主題をダイレクトに表現することに抵抗があってうーむと身動きできなくなってしまっている。クリエイションのパートナーが立てた主題のイメージが、理解はできるのだけど何かが肌に馴染まないというか感覚的に受け入れられなくて、このズレを解消しないことにはシーンを作り始めることもできない。かといって相手を説得する言葉も思いつかない。おそらく説得とか妥協とかそういうことでもないんだろう。
霧の晴れぬまま書類に取りかかれるわけもない。
ごろごろしながら、もしかしたらこの感覚のズレこそに焦点を当てたらいいんじゃないか。すぐに相手に説明できないのはこれがすぐには解決できない深遠な議題であるからで、お互いの文化的背景にも言及しなければならなくてなかなかにセンシティブだ。だったらこれをひもといてゆくことこそをテーマに据えたらいいんじゃないか。そうふと思いついて突破口が開けたような気がしている。
主題はある現象、ある現象が見せるモノについてなんだけど、私はその現象こそ「人の認知」が深く関わっているもので、その人の背負っている文化がその現象に対しての認知を左右するんじゃないかなあとかねてから考えていて、その個々のズレのようなものにこそ興味がある。
この現象に対する認知、…をテーマとしようとしている私と彼女の認知、についてまず考えてみる。それによってその奥にある、私達が主題にしようとしているものに手が届く。…というようなことになればいいな、という感じ。
そうすることによって書類を書く手前に解消しておかないといけない最大の障害を解決せずとも良いじゃないか。私は天才か?
夜中に考えたことは壮大になりがちなので、起きてからメモを見直しながら、こんなテーマを果たしてどうやって身体表現に落とし込むのだえ?という気持ちにはなった。文化人類学の研究をするわけじゃない、私たちがしたいのはダンスなのだった。でも少なくともこのクリエイションに対する私のアプローチの方向をはっきりさせるとっかかりにはなりそうだなと思う。
やっぱりにわかな「テーマ」なるものを設定してもそこに身を入れ込むのは難しくて、自分が世界に対して持ち続けてきた興味を原動力にせざるを得ない、という私のエゴなのかもしれないけど。この方向で提案してみようかな。