2024-11-19 篩
昨日はこんなふうに書いたけれど、(2024-11-18 言葉の道を通らない)圧迫される感じ、ぎしぎしと乾いたものだけが残り詰まってゆく感じがするのは、私がそれをじつのないものとして受け取っているからということもある。大事なことと、そんなに受け取らなくても良いことを、ふるいわけていくのがいいな。いろんな試行錯誤を繰り返しながら長年生きているはずなのにいつまでも初手のトライアンドエラーを繰り返しているようで時々自分にため息をつきたくなる。 ここに書いていると他の年の今日の日記を読むことができる。(下のリンクにある)
記録を残しておきたいという気持ちが強いくせに、あとで読み返すことがほとんどない。なんのための記録なのか?タグをつけたり書き方や書く場所を工夫したりするのは記録物としてあとからどうにでもできるためなのに、たぶんこのままでは一生見返したり整理したりすることもないだろう。なんなの。
でもここの仕組みで読み返すきっかけがもらえるのは嬉しいとも思う。
まあ、あまり囚われすぎずにやってゆくしかないか。
ここに書いたものを「しずかなインターネット」に書き写して…というようなことをしているけれど、もうそういう体裁を取るのも時間のロスかもしれない。
Blueskyに書いたものをTwitterにもコピーして(写真があるときにはInstagramに載せたりまでもして)、ここに書いたものを他のサイトにもコピーして…なにをやっているんだろうな。
もうここを基地にして全部ここでおさめようかな(…と思うのはこれで何回目かな)。