2024-11-18 言葉の道を通らない
文字を読んだり書いたりしなくてはと思わなければ一日はもっと長いかもしれないのにとふと思う。
本やニュースを読んだり、読むために言葉を勉強したり、ラジオを聞いたり、人の投稿を読んで何かを判断したりまたそれについて書こうとしたり、誰かにメッセージを送ったり、……電車に乗っても煮込み料理をしても歩いていても隙あらば何か読んだり書いたりしようとしている。
好きでやっているはずなのにこんな考えが浮かぶということはそのことに少し疲れているのかもしれない。何故文字ばかりを体に詰め込んでいるんだ?その「読みたい」は純粋な楽しみだけでできているのほんとうに?
言葉から離れて体だけでいる時間がもっとあってもいいかもしれない。
言葉に関わっていると本当に時間がかかるし遠い。こんな風に思うのは私が外国語で読めるようになりたいと思っているからだけではないと思う。言葉はひとつの道でひとつのことしか運んでくれない。言葉という過程を経ると、自分に対しても単純になった、ぬるくなったことしか届けてくれない。
ならば他者には?何とか体裁を整えて発してみたところでどれだけ伝わるんだろう。言葉なんか話すから人と人との間が渋滞して直接会えなくなっちゃったんじゃないかと思うようなことも少なくないし。
感覚ならば瞬間的に、より多くのものにいっぺんに触れることができるところを、わざわざ言葉の世界に迂回しなくてもいいのかもしれない。遠回りしたのにぜんぜん良いどんぐりも拾えてないし。ただでさえ不器用なのに四角い車輪の自転車に乗ってるみたい。