2023-11-19 今日のメモ
なんでも忘れてしまうから、何度でも出会い直せるて初めて見たことのように心を動かされる。毎日やっていることなのに始めるまではひどく緊張する。何度も同じ間違いをするし、間違うんじゃないかと恐れる。自分に期待しすぎているしものを見る目が厳しいから自分へのハードルを高く設けすぎる。こつこつ努力できない人間だという自覚があるから知っているから問題は全部おおまかにまとめてそこにあると思い込んでしまっている。つまりそのために細かい反省や分析ができていない。
例えば日本にいる時には生活をする時間が取れなかったが移住してきて家事炊事をするようになって9年経った。毎日ご飯を作っているが毎日まあまあ美味しい。失敗したことは多分ほぼないと思う。それなのに毎回まぐれで上手にできていると思いこんでいるのかもしれない。舞台本番も毎回自分の実力以上のことができるから、料理も同じことで、そのまぐれが次回は起きないかもしれない(=失敗する)と考えて毎日夕方になるとどきどき緊張してしまう。
自分の成功はまぐれであり、自分の失敗は怠惰のせい(つまりやればできる)と思っている。こんなに長く生きているのに自分のことが分かっていない。できたこともできないことも、もうちょっと細かく見て書き留めてみようかな。
どうして踊りではできることが生活ではできないんだろうな。
自分は何もできない役立たずだと心のどこかでずっと思い続けているけれどそれは誰に言われたわけでもなく自分でそう言い続けているに過ぎない。自分を高く評価しすぎている。周りからも評価も自分が積み上げてきた実感以上の評価をもらうことが多いので、実態との差に自分だけは気づいていて、またそのまぐれがやってくるかは分からない、のが怖いんだろう。
でも実際は、私はできることをしてきたし、できないことはこれからもそんなにはできない。それだけなんだろうな。そのままを見て、期待もしすぎず、ある程度は諦め、ある部分は正当に評価しなければ。
こんなふうに書き散らして、こういうことはscrapboxにひっそり書くべきだった、と開いたら、「ご飯が作れるようになったことをそのうちちゃんと書こう」というページがあった。そうだな。ご飯、作れるようになったじゃない。なんで今でもご飯が作れないと思い込んでいるんだろう。何と比べてるんだ?
私は、実際に何ができたのか、何が自分にはできるかということよりも「そのためにどれだけ努力ができたのか」「どれだけ積み重ねたのか」にばかり目を向けているのかもしれない。たぶん、なまけていてもある程度のことができてしまうし評価も分不相応にもらってきたからだろう。甘えだし、贅沢な悩みだ。
努力と成果は釣り合うべきだと思っているのかな。そうじゃないと不公平だ、とでも?実際は努力と成果が釣り合うことは残念ながら無いと知っているのに、なぜ自分のことになると頭が固いんだろう?頑張ることがいいことだとも全然思っていないのに自分にはそれを求めているのかも。自分を過信してるし、ある部分では全然信じてないんだな。何年自分をやっているんだろうなー
評価してもらったり、優しくしてもらったり、もらうことの大きさに対して自分はまったく怠けっぱなしだと感じているからいつまでも自分を役立たずだと感じるんだろうな。これから脱するには自分が納得するくらい頑張るしかないのか?結果はともあれ?それも変だよなー。
やっぱり自分を正当に評価して、諦めもして、反省もして、自分に対して見栄をはらないことが大事なのかも。
2年前にも同じようなこと書いているじゃないの…
やれやれ