2023-10-12 視野
多くの人が自分の国籍のある国にアイデンティティを感じるのは普通のことなのかもしれないけれど、そういう大きなものと自分を単純に結びつけていると、何かの時にその国やその国の誰かがしたことで眼の前の個人を攻撃しなくてはならないことになりはしないか。
日本人として恥ずかしい、というようなことを言うことは同時に、ある国のしたことの責を目の前のあなたにも求めることに繋がりはしないか。
イスラエルの友人はイスラエルで友達関係や家族関係を持ってイスラエルで起こっている酷いことに胸を引き裂かれている。
彼女がどうか少しでも安全で心安らかでいてくれたらいいという思いと、パレスチナ問題でイスラエルや西欧諸国に向ける批判とは、まったく無関係のもので、だから共存できる。
だからといって、私はどの国の旗を掲げることもしたくない。(それはパリのテロの時も、ウクライナ紛争のときも、シリア内戦の時も、今回もおなじ)
国旗は、国家自体ではなくて人をも示す(ととらえる人もいる)から。
私が批判したいのは個々の人ではもちろんなくて、国同士の行いだから。