2023-08-25 無花果の剪定、放浪に乗じて
窓を開けていると甘い匂いが重たく漂ってくる。春から夏にかけてぐいぐい成長する無花果を去年は同じくらいの時期に思い切って切り詰めたのだったが、今年は「大きくなってはだめならば」とばかりに内へ内へと葉が密度を増し、庭の半分は濃い影に包まれてルソーの描く熱帯のよう。木の外側と内側では気温が数度違う。生態系が変わってしまう。いい加減さっぱりしてやろうということで今年の剪定はじまり。
登りやすいように枝を育てなければならず、将来の見通しを立てながら枝を落としていく。無闇に切るとせっかく生った実に手が届かなくていたずらに腐らせることになる。
もうすでに秋の実の準備がそこここにふくらんでいるからもったいない気持ちもあるけれど、いま風通しと日当たりを良くしておくことで結果的には残りの実がよく育つのだった(去年学習した)。
夏の日差しに熱されて葉の匂いが強くなっている。無花果の葉に触れると肌がかゆくなるので長袖を軍手の中に入れる。これで思い切って作業ができる。
お隣との境の生け垣のニセローリエ(ローリエに似ているけれど匂わない)もだいぶ庭を侵食しているので伐採する。壁が透けない程度に。
久しぶりに現れたスペースをカチューシャが興味深げに嗅ぎ回る。しゃがんで一緒に眺めていたら秋明菊が蕾をつけているのを見つける。
高くなりすぎたライラックも切る。せっかく花がついても手が届かなくなってしまったから。
蠟梅とマンサクも枝を払って、竹も切り、ナンテンに絡みついたしぶとい蔦もほどいてやってだいぶ庭に光が戻ってきた。
様子が変わったことに気づいた近所の猫とカチューシャが鉢合わせる。喧嘩しないでいいよ、と声をかける。この庭に入ってくる猫のうちどいつがカチューシャと仲が良くてどいつと喧嘩をしているのか、よくわからない。
カリン様みたいな白猫のことはどうやら好きみたいだ。
記録や発信について再度迷いが出てきたので少し頭を整理する。
SNS・ブログサービスのような場所で自分が一体何をしたいのか改めて考えてみたら思いのほか複雑で、「ひとところにまとめられたらいいな」とはいかないことがわかった。
記録しておきたいし、言葉を書きたいという欲もある、誰かに読んでほしい気持ちもある。活動のお知らせもしたい。
気軽に刹那的な置き方をしたい言葉、長く残してあとから練ることもできる言葉、今すぐじゃなくて遠いいつかに読んでもらえる言葉。コミュニケーションを目的とするのか、自分のためだけの覚え書きなのか…。
その場所をやめるのに、または始めるのに、何が自分をかきたて、躊躇させるのか。
それぞれの場所について自分が感じていることは以下。
Twitter:
長く使ってきたし繋がっている人も多い。思いがけない情報に出会えるのは良い。でもシステムが壊れている。そういう場所にこれ以上加担して良いのか?妥協して使っている状態。
Bluesky:
人は少ないけれど、しがらみなく投稿できる(しがらみなど感じていなかったはずなのだけれど、ほんのり気楽だ)。読みたくない投稿は現れない(システム的に。それが重要)。新しく場所を構築するわくわく感。feedが良い。
Mastodon:
なぜここを飛び越えてBlueskyに行ったのかは自分でもよくわからない。画面の親しみやすさかもしれない。検索できないのも理由になっている。Blueskyほど新天地という感じがないのもある。
scrapbox:
すべてを投げ込み、積み上げて行ける場所で信頼している。自分でも思いがけない時にそれまでの重なりが形を成すことがあってクリエイティブな空間として個人的にずっと使っていくと思う。メイン基地みたいな感じ。
Discord:
scrapboxが自分の基地なら、ここはみんなとの共同基地という感じ。まだ可能性を活かしきれていないのも承知だけれど、気長に楽しくしていきたい。
はてなブログ:
ここを自分のブログと決めたつもりで十数年分の日記もインポートしたので目移りしたくはないのだけれど、scrapboxに書いてからここにコピーする、みたいな形がどうにも二度手間ではある。scrapboxをメイン基地にするのなら「日記の保管庫」という役割をはてなに求める必要もないのだからそれだけを理由に固執することはないかもしれない。それに、はてなを読み返すことなどないのだった。(scrapboxはそれが自然に起こる仕組み)
substack(ニュースレター&ブログ):
以前からいくつか購読していて気になっていたところに清香さんも始められたので惹かれている。いろんな人がニュースレターを始めれば日記をお手紙で送り合うみたいで良い。お互い言及することがなくてもなんだか交換日記みたいになりそう。以前substackでニュースレターをやってみたものの、ブログの見た目を自分でデザインしたくてはてなに移ってしまったのだった。ブログなら書いても書かなくても誰も気にしないけれど、ニュースレターとなると人様の受信箱に直接届くわけで、もう自分ごとではない。面白くクオリティの高いものを届けなきゃいけない気がして途端に敷居が高くなる。日記?地味すぎ。写真すらないなんて誰が読むんじゃ。三日坊主になったとしたら(なりがち)飽き性がバレるじゃないか。などと余計なことを考える。まあTwitterの変化に端を発する今の難民状態に乗じて乗じて流動しても良いことにする、というのも手だけれど。
飽きっぽいくせに、こつこつと続ける根気に大きな憧れがあるので、新しいことを始めるのが怖い。自分にがっかりしたくないし、失望してほしくないんだな。
そんなことを理由に日記を書く場所を決めなくてもいいか。自分が好きでしていることなんだし。どれだけ自意識過剰なんだろうか。
ともかく、なんとなくそれぞれの場所についての気持ちは分かったので、「ちょっと楽しそう!という直感を大事に、無理はしなくても良い」ということを中心に据えながら選ぼうかなと思う。
心が動かないとどうぜ始めないし長続きもしない性格なのだからやってみたいなあと思ったらひょいとやってみてもいいのかもしれない。考え込むと永遠にフリーズしてしまうので、軽率にやってみてもいいかもしれない。日記だもんね。
…と、三日坊主になった時の逃げ道を作りつつ、ニュースレターを再開してみました。
更新は不定期、内容も日記や与太話、有用な情報は無し、三日坊主となってもクレームは受け付けません。
それでもよかったらぜひ購読してください。
メールアドレス登録をすると受信箱に届くけれど、アドレス登録したくないかたはサイトで直接読めます。
よかったらみなさんも始めてみてね。私もみなさんの日記や与太話がメールボックスに届いたら嬉しいから。