2023-05-29 今日のメモ
16:58
隣町の商店街をてくてく歩いてレバノン料理屋さんに入る。
今日は休日なのだそうな。何の休日なのか調べてなくて知らない。
この間フランスの学校の休みを数えたら年間4ヶ月もあった。中学生になっても九九も分数もできない理由はここにあるのか否か。
私だって10年間英語の授業を受けたはずなのにもう「明日」すらすっと出てこないので全然人のことを言える立場ではない。
16:29
友人に誘われて『Hokusai』を観に行ったのだけれどあまり良いところを見つけられずに帰ってきた。 脚本が薄いというか歯抜けというかどっちつかず。セリフも安っぽくどこかで聞いたことのあるようなものばかり。
絵師の湧き上がる「描きたい」という情熱・業の話にしたいのか、まだ自由に表現できなかった社会の理不尽を描きたいのか…どちらも入り口に入りかけてはそれらしいセリフを言ってはそれ以上踏み込まず、時代も人物も殆ど語られぬまま進む。俳優の魅力でかろうじてキャラクターが保たれてはいるが、北斎はじめ登場人物を再発見する感覚はない。それぞれの人物にキャラクターをつけて見せる様は携帯会社のCMで桃太郎や浦島太郎を俳優がキャラクター設定して演じてた、あんな感じに近い。
パリではしょっちゅう北斎の作品が展示されたり研究されたりしているので見に来た人たちもがっかりしたようで、映画が終わらぬうちに帰るひとが多くいた。
北斎が波や富士を発見したシーンも安っぽく、北斎足る何かをひとつも語らぬまま急に子供ができたと思えば次のシーンは急に年老いて先生と呼ばれる時代に飛び、田中泯氏が踊らぬ踊りのようなシーンを始めるもすぐにカット。何のためにあのシーンを始めたんだろう。お客さんを引き込むどころか作り手の方が辛抱できてない。
吉原のシーン、蜷川実花が美術なのかな?と思うような感じだったけどそうではないよう。蜷川実花以後の吉原のイメージの定番になったのかなあのマゼンダ多めのコントラスト強いビロードみたいな質感…。それを借りなければ表現できなかったのだろうか。
もしかしたら8話完結くらいの1時間ドラマにしたら良かったのかもしれない。肝心な部分が抜けているトレーラーのような作品。世界観を作ったように見せかけてその実ちゃんと練られておらず、それらしいセリフだけ並べて人間のありように対しての視線が浅い感じは『ゲド戦記』の感触に似ているかもしれない。
あと個人的に気になるのは、当時の人たちを借りて現代のメンタリティを語らせるのは無理があるということ。現代とは人生観も違うし自由の感覚や芸術に対する感覚も違っていたはず。それなのに安易に現代の作家の精神や感覚に当てはめて語ってしまうのはなんとも傲慢ではないか。
誰かの作ったものを悪く言うようなことはやめようと昨日決意したばかりなのだけれど、悪口になった。
絵が描かれる過程、筆が絵をかたちづくっていくシーンは唯一見ていて面白かった。