2023-05-23 今日のメモ
Twitterに書いたこれ、
InstagramにもfacebookにもTwitterにも同じ投稿をしたりしているけど、肝心なのはそこで起きているそれぞれの場所にいる多様な人に届くことよりも、その場所の特徴が自分の届け方をどう枠付けしてくるか、ではある
全然これじゃ何のことか分からない。
要するに、違う場所にもかかわらず同じ踊りを踊るっていうことを私はSNSでしているなと思ったということ。
同じ踊りを踊ることで、違う場所なら違うものに見えることをあえて意識しているならば良い。でもそうじゃなくてとにかく数打てばいろんな人に見てもらえる!という意識だけで考えなしにあちこちに投稿しているなら、それは自分が何を表現しているかということをあまり考えていないということと同じ、ということを言いたかった。
SNSに「表現」なんていうことを求めているわけじゃないから気軽にすれば良いしこれからも気軽にその場にいる友だちに対して文章や写真を見てもらおうとするだろうから、それはいいんだけど。
なんでこんなことを考えたかというと入り口は他のところにあって、ただ、長年「こういうものである」と使い続けてきたTwitterの仕組みやあり方が多少変わったことで、自分の発信するもの/したいものはそのプラットフォームの表現形式によって随分と左右されていたんだなということに気づいた、ということだった。