2023-04-12 得意でも不得意でもない、雹が降った
(読書感想文が話題になっていて思い出したのだけれど)
子どもの頃から、自分がどういう風に取り組んだかだけが関心ごとであって、人からの評価はあまり気にしたことがないかもしれない。
私にとって読書感想文は自分が発見したことを好きに書ける機会であって、本の内容とは関係のない思い出や頭に浮かんだ創作を連ねていたような記憶がある。どんな反応をもらったのかはあまり覚えておらず、ただ自分のわくわくを誰か(たとえそれが先生ひとりであっても)に共有できる機会だと感じていた。
人目を気にする気質なのに、力を入れて取り組んだことに関してはあまり評価を気にしないのは、その手応えを正確に、微妙なところまで判断できるのは結局は自分だけなのだと感じていたからなのかもしれない。結局は自分を納得させられるか否かであって、一番怖いのは自分だ。誰よりも誤魔化せない。
またはもっとただ無邪気で独りよがりな理由なのかもしれない。
反省が苦手なだけかもしれない。
他人を信じていないのかもしれない。
ある程度成功体験が多かったから自分を疑わないでいられただけなのかもしれない。
家族に、友達に、私はたいしたことができないけれど、私がそこに介在することでちょっとでも世界が楽しく見えたり綺麗に見えたり途方もなく見えたりするといいなあと強く願っていた。大人になった今もあまり変わっておらず、やはりたいしたことができないまま。
今日は晴れたり、急に空が黒くなったり、雹が降ったり、目まぐるしい天気だった。
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目覚めると体調がよかった。
ストレッチクラスのあと多少だるくなったけれど予定を入れずにいたので夜にはまた持ち直す。
元気になるようにと作ってくれていたおかず(鴨と青梗菜炒め、きのこのソテー)に加えてトマトとわかめを味噌とすり胡麻で和えたもの、豆もやしとマッシュルームを梅酢で和えたものを作った。
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感覚は鋭かったけれど観察眼がある方ではなかった。近年少し変わって来たけれど、今も人並みの観察眼があるかどうかは疑わしい。でも数年前には見抜けなかったことが見えるようになってきた。以前の私はどこから見ても怪しい人や事態も信じて正面から付き合おうとするようなところがあった。心底から疑いを持たなかったわけではないけれど、自分には分からない世界への可能性を最初から潰してしまうつもりがなく、なおかつ多少の冒険をする余裕があったのかもしれない。
前よりよく観察するようになったのはぼんやりしていると身の危険があると知ったからで、喜ばしい変化とは言えない。