2023-01-23 『ブルースだってただの唄』読了
『ブルースだってただの唄』を読み終える。
多様な背景を持つ数人の方に話を聞いていて、「黒人である」ということから受けた人生への影響はさまざま。
生活環境によっては自分が感じていることが黒人差別によるものではなくただ個人的な問題によるものにすぎないと思い込みなかなか解決にいたらなかったのだけれど、おとなになってみればそこには個人では解決できない社会の仕組みに要因があったことに気づいた、ような例も多かった。
こういうことはジェンダーの問題や、他のマイノリティが抱える困難とももちろん通づること。
私が自分が無知であったなと感じたのは、差別によって未だに続いている経済的格差や犯罪率などの問題を改善するためには教育を普及させることもそのひとつの道だと思っていたが、その教育は結局のところ白人が白人の社会の中で生きるために組み上げられたシステムでもあるので、その教育を単純に享受することに対する忌避感もあるということだった。
いや、それは考えてみたらそうだ。
そもそも教育は今ある社会システムの中でなるべく多くの人がうまく生きられるように(言い方を変えるなら多くの人がうまく現行の社会を支えることができるように)考えられたものなのだから、「白人が白人の社会の中で生きるために組み上げられたシステム」に組み込まれようとすることと「黒人であることのアイデンティティ」の間に齟齬がないわけはないのだった。
読み終える少し前、暴力のシーンに気持ちが重くなって手が止まってしまった。行き場を奪われたまま暴力を受ける地獄。
でも読了後は、自分の記憶の重苦しさよりも他のことを考えていた。
ここに登場する方たちと比べて自分の行動を顧みたということもあるけれど、どんな状況に置かれたとしても、ひとりの人間としてどうそれに立ち向かうか、それに尽きるのだということを思ったから。
「辛かった」と漏らすことがいけないことだとは思わない。でも、もしその段階を過ぎて、自分はいつまでもその場所に留まっていることを良いとは考えていないのであれば、そこからいくらかでも進んでいるとするならば、取れる行動は他にもあるはず。
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「神様が見ている」という言葉だって受け取り方はひととおりではない、というか全然通じてないことの方が多いという話をした。
わたしのなかにも偏りは、まだある。