2023-01-08今日のメモは大部分が『優しい地獄』を読みながら
夢で何度も訪れて地図まで描いた町、そっちのほうが本当の自分の時間で体験なのだとこころの奥では信じているような人間が、生活のためのルーティンなどこなせようはずもないのだった。
理解したように錯覚してぜんぜんちがう世界で言われている別のことをそれと同じこととして繰り返すひともいたし、自分が心に抱えているものとまったく同じだと思って心酔するようなひともいた。
どちらにも話が通じていないことはすぐに分かるが、「わかっているよ」と伝えてくれていることに対して冷たい態度をとりたくはないから、そこはそういうことにして、微笑む。
わからないでもなく、大げさに捉えるのでもなく、当たり前のことであるとともにそれがどんなに得難いことであるかを真に理解してもらったのははじめてだったのかもしれない。
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パリに来てから、言葉もわからないし、自分の知った文化と違うものが説明もなくそこにあるから、色んなことを勘違いして受け取ったり、不思議なものに見えたりした。
言葉もそう。
わからないから色んなふうに想像したり、察したりしようとする。
でもそれがいつも当たるとは限らない。的はずれなことも随分あって、きっと今でも勘違いしたままのこともあるかもしれない。
それは、産まれてはじめてこの世界に触れたときのことを思い出させる、のかもしれない。もう私はそのことを、1歳半のときのあのはじめて言葉を意識したシーン以外覚えていないけれど、きっと私はそのことを思い出している。
そういう意味では、グカ・ハンの『砂漠が入り込んだ町』←題名がいつも覚えられない を読んだ時の感じ、あの本が母国語じゃない言葉で書かれ、どこか異国を異国のようなからだでさまよい、そして私も母国語じゃない言語で読みながら読み間違いをしたり、前提知識がなくて完全に勘違いしたまま最後の方まで読み通したりした、そのことも、『優しい地獄』は思い出させてくれる。
もしかしたら私はもっと、この、知らない世界を手探りで進むようなことをつきつめるべきなのかもしれない。
母国語でない言葉で書くひとの本を読んだりすることもきっとそのひとつ。
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シンプルだけれど自分が一番魅力的に見える服に着替えて出かけるところ。これからおこる会話やできごとをとても楽しみにしている。
エレベーターの鏡で自分の姿を見て「よし」と思うがとても薄着なのに毛の処理をせずそのままだったような気がしてくる。
それならそれでいいじゃないか。あまり手を大きく挙げないようにすれば…。などと考える。
でも多分行き先では踊ることになるのだった。
それはそれで体の動きを素早くすれば見えないのでいいか、などといい加減なことを考える。