2022-11-24のメモ
写真を撮るということのなかに含まれる暴力性を意識しない作家の作品は見たくない。
必ずそこには多かれ少なかれ奪い、奪われるという関係が生じる、写真を撮っていればそのことは否が応でも感じることだと思う。それを無視して、またはそこに思いをいたらせることもないまま写真を撮っている作家の感覚を私は信用することはできない。そういう写真の匂いが単純に好きじゃないというのもあるけれど、搾取構造のある作品を見ることで加担するようなことをしたくないというのもある。
SNSで自分のお子さんの写真を公開してる方が友達にもいる。個人的には可愛いなあ、大きくなったなあ、という思いで見ているけど、やっぱりそのいち個人に断りもなく載せていることには変わりない。そのデータが永遠にそこに残るわけではないにしても、大人になって自分の写真が見ず知らずの人に見られていたと思ったらやはり嫌じゃないかな。だからちょっといいねなどするのは躊躇してしまう。
とはいえ、気持ちは分かるし、批判したいわけではないんだけど。
いろんなことを考えすぎと言われたらそうだよねと答えるしかないけれど、私は考えていたい。