怒り
怒りっぽくなった気がする。
常にイライラして自分でもどうしていいのかわからない。
仕事が上手くいかなくて自分に腹が立つ。
#2023/11/20
怒りたくないなあとは思ってても、
相手が自分をイライラさせて怒らせるのよ。(怒りたくて怒ってるんじゃないの!)
→ (実はそうではないのよ。 という話)
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怒りのメカニズム
→ 「相手が自分を怒らせる」のではない
本当のところ、僕たちは怒りたいから怒っています。
怒りやすい相手に怒り、怒りにくい相手には怒れず、グッと我慢しているんですよ。
自分で自分に怒ってるんじゃね
怒りの着火スイッチというのは、自分の中にある「べき」という考えです。
何かについて自分が「~である”べき”」だ、と思っていることです
例えば「挨拶は相手の顔を見て、にこっと笑顔でするべきだ!」というような思いとかです。
理想や 大事にしている価値観、信念 というやつ
それで、
その「べき」と現実にギャップがあったり、大事にしたい「べき」が裏切られたりしたときに、着火スイッチが「カチッ」と押されて火花が生まれます。
だから今度から自分の「べき」を探してみて。自分の怒りスイッチが見えてくるよ♪ 怒りのメカニズムを知る -【公式】日本アンガーマネジメント協会
怒りというのは、自分の中の火種に、誰かがマッチで点火するようなもの -From 禅(ぜん)
周囲に怒りをぶつけやすい人は、ある「成功体験」を引きずっています。
怒ることで、相手が言うことを聞いてくれたという体験です。「怒ったら、うまくいった」
...よくないのは、一時の感情に流されて、本当に大切な感情を見失うことです。 なかでも「怒り」という感情に翻弄されて、自分の感情を見失うことが一番危険なことなんです。 ーキミは、「怒る」以外の方法を知らないだけなんだ (p.58). 森瀬繁智(モゲ). Kindle 版.
感情が出すぎ、出しすぎ
(個人的な話)思えば、このscrapboxに書いてる内容は「べき」の塊みたいなものだ。悪影響なのでは。。。?
きっと、完璧主義の悪魔が顔をのぞかせている
やったりやらなかったりしろ。思い出したり思い出さなかったりしろ
一日一善、あと全部悪
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怒りはいくつかのタイプがある
「身体的な怒り」
「身体的な怒り」とは人に叩かれるなど、身体的な被害を受けたときにわいてくる怒りです。
当然のことながら「怒るな」というほうが無理です。むしろ、身体的な被害を受けているにもかかわらず怒らなかったり、我慢したりするほうが危険です。
「消失的怒り」
自分が大切にしていたものをなくしたり、大事な人と別れたり、亡くしたりしたときにわいてくる怒りですね。
なくしたものの価値や存在が、自分にとって大きければ大きいほど、その悲しみと怒りは大きくなります。
「未承認的怒り」
人には「承認欲求」というものがあります。「認められたい」「大切にされたい」「粗末に扱われたくない」といった気持ちです。
だから、認めてもらえなかったり、大切にされなかったり、粗末に扱われたりすると怒りがわいてきます。
この怒りの前提には、<愛>があります。
そもそも、相手に対して強く「認められたい」と思うのは、相手のことが大切で大好きだからです。
「支配的怒り」
例えば、会社の上司が言うことを聞かない部下に腹を立てるのも、学校の先生が自分の指示に従わない生徒に怒るのも「支配的怒り」です。
これも人間本来が持つ感情なので、否定することは出来ません。
「支配的怒り」の前提には「未承認的怒り」同様、<愛>があります。
相手に良くなって欲しいという気持ちがあるから、余計に腹が立つのです。
でも、怒ったからといってその愛が伝わるわけではないので、違う方法でその愛を理解してもらえるようにしましょう。
ではどうすればいいかというと、自分の「気づき」にすればいいのです。
「怒る」以外の方法を知らないだけなのです。
アリストテレスは次のように述べた。
「怒ることは誰にでもできる — それは簡単だが、正しい相手に、正しい度合いで、正しい時に、正しい目的のために、正しい方法で怒ること — これは誰もができることではないし、簡単ではない。然るべきことがらについて、然るべきひとびとに対して、そしてまた然るべき仕方において、然るべきときに、然るべき間だけ怒る人は賞賛される」 - wikipedia/怒り