ワーキングマザーの固定観念を外すチャレンジ
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以前、帯状疱疹になってしまった夫が抗生物質か何かの薬💊を飲んでいたとき、もう切り取って捨てられるパッケージがあるのに、ついたままになっていると、気持ち悪いという話でした。
気づけばワーママ歴6年半のアレクサンタ、この6年の間にずいぶんと思考が変わりました。
特に、こうしなければ、こうあらねばと無駄に自分を縛り、罪悪感を抱えて、苦しくなっていた心を、一つ一つ解放していきました。
私たちの世代(30代、40代)は、父親が働き母親が専業主婦がメインだった世代であり、その母親像が大きく残っていること、一方就職する頃には女性の社会進出が進み、共働きが当たり前になる中で、時代が変わっているのに、自分の母親像に縛られている感が強いです。
そのときとは、環境も社会情勢も全然違うのに。
なので、共通の思いもあるかと思い、それを、リフレーミング(視点を変えてみる)して、
ここに記していこうと思います。思いついたら追記します。
リフレーミングは、こちらの本から教わりました。
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リフレーミングとは、出来事の枠組み(フレーム)を変えることで、出来事に別の視点を持たせるものです。
リフレーミングに関する有名なたとえ話ですが、コップに水が半分入っている時、「半分しか入っていない」というフレームと「半分も入っている」というフレームでは物事の感じ方が異なってきます。
「半分しか入っていない」というフレームでは、不満や不足を感じるでしょうが、「半分も入っている」というフレームでは、満足や喜びを感じることができるでしょう。
このように、同じ出来事でもフレームを変えるだけで、物事の感じ方を変えることができます。
では、リフレーミングチャレンジ!(ものによっては、リフレーミングではないけど)
共働き家庭編
(心の声)
義理のお母さんは、その世代で珍しく、銀行員として定年まで勤め上げた人。彼女がその時代にも関わらず、頑張って、辛くても頑張って、仕事も、子育ても、家事もやり抜いて、今悠々自適にしているんだから、私も頑張らないといけない。
(リフレーミング)
同じ共働き家庭であっても、私と義理の母は、仕事内容も、時代背景も全然違う。祖母が家にいたので、平日の家事は、全部、おばあちゃんがやっていたみたい。もしかしたら義母にとって銀行員の仕事が天職と言えるもの(楽しく頑張れる)だったかもしれない。
義母に何か言われたわけでもない、むしろすごく気遣ってくれるのに、ねばならないで勝手に苦しくなってるのはおかしいね。笑
(気づき)
これ系は、たっくさん抱えてた。SNSの先のともすればキラキラしているところだけ切り取られている「ワーママ像」と自分を比較して凹む。さらには、過去の自分のキラキラ状態に押し潰されそうになる。馬鹿みたーい!
良きお母さん像編
(心の声)
私が小さい頃は、いつも母はそばにいて、何か作ってくれたり、お話を聞いてくれたりしたのに、私は、それができていない。かといって、仕事をどこまで有意義にできているだろうか。
毎日ヘトヘトで、余裕がないから、子供にも優しくできていない。料理もろくなもんじゃない。
こんなお母さんじゃ、子供たちが可哀想。
(リフレーミング)
働く母として、頑張る背中を見せてあげることも、愛情の1つ。そのおかげで、やりたがったことをやらせてあげられる金銭的余裕がある。一緒にいる時間と愛情の深さは比例しない。むしろ、メリハリがあることで、濃い時間が過ごせるし、ぎゅーっと抱きしめよう。料理は、ホットクックにお任せでいいじゃん。私が作ったより美味しいし楽!色々全部自分でやろうとするから余裕がないんだ。料理や掃除は自分じゃなくてもいい。子供達のママは私だけ。とことん手抜きしてその分一緒に笑っていよう。
稼いだお金で旅行に行ったりして、いろんな体験をさせてあげよう。あら、まあ、十分素敵なお母さん。
子供の面倒について、外部サービスを利用することの罪悪感編
(心の声)
ベビーシッターなんて、バリキャリのお母さんだけのものでしょ。そういう人たちは子供を犠牲にして働いて子供が可哀想。きっと子供は悲しい思いしてるんだわ。
それに自分でもできることにお金を出すなんて。夫や義母の目も気になるし。。。やっぱりハードルが高い。でも、猫の手も借りたい毎日。ちょっと使ってみたいけど。。。。。
それに、頼んだら、その分仕事しちゃいそうで。
(リフレーミング)
試しにやってみよう。例えば、毎週二回、お迎えの1時間をお願いしてみたら、精神的に思った以上にすごくありがたい。お迎え時間に間に合うか慌てて心をすり減らす心配もない。たった1杯の喫茶店のコーヒーで蘇る自分がいる、子供に会いたくなる私がいる。私は私1人の時間が必要だったんだ。これは、お金で時間を買う価値があるわ。調べてみたら、色々補助もあるみたいだし、家の近くの人を見つけられれば、費用も抑えられる。
子供たちも、新しい大人の目が増えて、楽しそう。3人目のおばあちゃんみたいな存在。
社会で、子育てしている感覚。さて、24時間×7日間=168時間。そのうちのたった2時間、それが多少増えたって、外部サービスを利用して何が変わる?誰に文句をいう権利がある?
あくまで、ママの私が元気でいるための投資。仕事はしなくていい。(もちろんしたいならいい。)したいことをするための時間を買うんだわ。
お仕事編
(心の声)
ああー、忙しい、忙しい。疲れた。やってもやっても、終わりがこない。この先も山ばかりが見えている。やるべきことは山のようだ。でも仕事なんだから、やって当たり前。中途半端な仕事の仕方はしたくない。とはいえ、本当はもっと丁寧にじっくり仕事したいけど、そうもいかない。これでいいか!ってちょっと自分の中で蟠りがあるまま、片付けていくのもストレスに感じている。でも、あんまりグチグチ弱音もはけない。そうやって、頑張って、頑張って、評価されて今ここにいるのだから。
本当は休みたい。南の島でのんびりしたい。でも仕事はいくらでも残っているし、溜まるともっと大変だから、都度はけて行きたい。第一休んだらその分仕事が溜まって、結局そのあと自分が苦しくなるじゃない。誰かやってくれるわけじゃないんだし、未来の自分のために今頑張っているのよ。ありがたいことに、部下は優秀だから、成果物も上がってくるけど、書類のチェック一つ行うのでも、これと、これと、これを把握した上で、しないといけない。部下の指導をするには、私の方がわかってないとできない。自分を通した後でミスが見つかるなんて恥だわ。と思ったら、また新しい仕事が電話で舞い込んできた。しかもまた難しそうなやつ。あの案件は、この事案は?あー、頭がパンクしそう。メールで仕事する(依頼も対応も)ことも考えたけど、電話で話した方が早く片付くものもあるし、メール打つのも面倒だしな。
みんな辛くても頑張っているんだから、私はやるべきだわ。これまで置かれた場所で意義と面白みを感じながら頑張ってきたけど、最近は辛い。一体こんな働き方、いつまで続くんだろう。私、早死にしちゃうんじゃないか。
(リフレーミング)
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