さよならメインストリーム:プラットフォーマーとは何か?
fladdict x rakusai
深津さんに対する質問
作家に対して大事にしてる体験
事前の訂正としてnoteとしてはDとUは区別してないというのがある
noteのミッションとして「誰もが創作を始めて続けられるようにする」というのがある
DとUを分けずに、すべてのUは潜在的なDであるという捉え方
始められることと続けられること、を再現している
実はPDUの間は点線にしてる by 100kw
Scrapboxに関しては?
rakusaiの準備した話も区別していない
ユーザーを相当develoepr扱いしている
ユーザーは何も知らなくて後から学ぶことはできなくて、自分で生活を変えたいとかは行わない人だろう、みたいな推定は一切ない
ものづくり好き、自由を求めてる、という接し方をしている
あらゆるユーザーはdebeloperとして捉えてる
大学でも3Dプリンタを普及するが、みんな物作りしないなぁという悩みがある
noteさんだとみんなクオリティ高い記事を書いてるように「みえる」が、設計はあるか?
noteは3Dプリンタを買わないプレイヤー
3Dプリンターは極まったプレイヤー用
どちらかというとレゴブロックとかで創るの楽しいよね、を重点おいてる
UをDにするの
レゴブロックはDになる?
手芸とかの積み重ねの先で3Dプリンタがある
料理とかがわかりやすい
毎日のホットケーキとかがよくて、いきなり懐石料理はつくれない
設計の意識は?
スーパーエキスパートのための機能はつけないし
はじめての日記、とかドラマおもしろかった、とか
そういうところを書いてもらって、閣の楽しいと思った人が
シナリオ術文書術を学んでつくれればよい
はじめてな人の機能つけるというけど、プロフェッショナルな記事が多いと思うけど、機能要望とかどうしてるのか?
押さえ込むのか?
そこは哲学・スタンスの話
note.muというよりは深津さんの価値観だけど、
おもしろいもの作れる人は鉛筆と紙があればおもしろいもの作れる
鉛筆とか紙を用意してご自由にの方がいい
高級な大理石とか大事な工具をおいておくより、粘土も紙もいっぱいあって自由にどうぞの方がいい
Scrapboxも書きやすさ・雑でもよいみたいなところはnoteにも共通しそうだけどどうでしょう?
初心者にも書きやすい、がソフトウェア設計のスタート地点
研究室でもユーザーインタラクションとか
普通の人でもぱっと理解できるものを、というのがあった
scrapboxはちょっと違って、概念とか記法とかを少し覚える必要がある
自分が作ってきたものと比べると難しいことをやってるなという自覚はある
広がりに関しても
Gyazoは誰でも使える、起動した瞬間に画面がとれる
Scrapboxはそうではない
普及するところでdeveloepr marketing的な考えが必要なんだなと感じている
プラットフォームとしてアイデアを進化させていこうという時に
アイデアの出し方・採用のジャッジをどうしてるか
プラットフォーマーとして
読者もいるし書き手もいる
そのあたりの書き手にはいいけどユーザーにはわるいみたいなこともあると思う
そういう意味だと、DとUを分けるの禁止にしてるぐらい
個々のクリエイターが喜ぶけど、みたいな会話をすることはほとんどない
戦略上の成長モデルはよい作家がいるとよい作品が集まってよい読者が集まって、PVやら売り上げがあるので、それをもって、、という面とか線のつながりで考えている
DとUを分けないというのを最終的に持って行きたいが、書き手になることの敷居の高さみたいなのはあると思う
どうやって書き手にしていくのか?
Dを大人と考えてUを子供と考えるとわかりやすい
Uはその中で育っていけばDになっていくだろう
遊び場を作るときにどういう遊び場を作るか
たばこ黙々麻雀室を創ったらアウト
大人のための~とかはNG
大人と子供が一緒に遊べるもの
どんじゃら?人生ゲーム?粘土?
DとUのサークルを意識して、両方が喜ぶところをなるべく作っていく
Pは家、中高一貫校の中高一貫図書館、みたいな
Webサービスとかを使っていくことでその仕組みをつかっていくということになるのかなと思った by 100kw
教員が褒めずしてnoteが褒めてくれる、みたいな
サービス設計する時に本でも調べ物でも、サービスそのものグロースそのものは注目していない
ワークする家庭ワークする学校・自治体・国家とかって何だろう
共同体で具現化するものの方が興味ある
コンバージョン上がる~みたいな話には意識的に注目していない
学校の今ある共同体の古い体質にインターネットの新しい構造を使っていくのがアップデートしていくひとつの方法なのかなと思った by 100kw
NotaのScrapboxはDとU分けたくないというが、今どうなのか
Uにどうやって記法とかを乗り換えて価値を感じてもらうかという壁はある
アプローチはいろいろある
見るだけのページなんだけど、クリックするとソースコードが見える、と、Uが学べる
どんなにすごい人が作ってもモノマネを拒否できない構造
それがないとすべてブラックボックスになってしまう
インストラクションが別に用意されてることが多いけど、noteもscrapboxも読み手から書き手へ成長していく形がある
「何を書いたら面白いか」に注目される
大人子供のメタファでいくと、好きな大人とかの身振り手振りをまねするので、その人がやってる、という見せ方の方がよい
こういう記事がおすすめとか載るけど、炎上するのは上がってこないんだ、上位の人もそういうの書かないんだというのを理解する
悪口炎上が評価されるシステムだと、ユーザーたちはこういうのを書くと評価されると思う
Twitterとか?
他のブログサービスもランキングシステムを自由市場にすると、スキャンダル・7つのテクニック・語尾に!とかになりがち
行かないようにするのがnoteのおや、コミュニティとしての価値
チュートリアルとか機能はそのためのおまけに過ぎないと思ってる
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Scrapboxはコミュニティ機能はない
プロジェクト内ではコミュニケーションとれる
巨大なサンドボックスを作る、というのが重要
汎用性のテーマがあったけど、汎用性を見せていった方がD的なユーザーは喜ぶ
noteの場合は汎用性を意識する?
プラモじゃなくて紙とか粘土
できるだけプリミティブど真ん中を意識する
汎用性に対する設計の、何が汎用性かの定義が難しい
デザイン思考は汎用性の逆に行く方向が多い
汎用性を有するもののアイデアの出し方って難しい
汎用性って2種類ある by fladdict
プリミティブ・マルチプル
プリミティブ:鉛筆・紙
機能性は少ないが、基本的がゆえに自由に作れる
マルチプル
十徳ナイフ
百徳ナイフ
noteはプリミティブな方を重視している
みんながマルチプルな方に行くので、それを1,2個に絞るのがデザイン思考
Scrapboxの汎用性とは?
世界中・汎用シンプル→自分の図
仮に「自分中心デザイン」と呼ぶ
自分がほしいもの、自分の課題解決からスタートする
ユーザーのニーズからスタートしない
コンピュータで自分がほしいもの
自分のフォルダに入ってる細かいスクリプト類
convert***rakusai.jsみたいになってたりする
だけど、もう一歩脱却して、シンプルさを保ったままなんとか近い人に使えるようにしていく
シンプルさを保ったまま、他の人が使えるようにするのはすっごく難しい
オプションとかを足していくと複雑になる
近い人->遠い人->マーケット
という思想
「ユーザーの話を聞くぞ!」という声にあがらうのが難しい
プロダクトは一人で作ってるわけではない
自分とは誰だ?とかになる
自分がほしいものが何だか分からないという人も結構いる
誰でもdeveloperになったらいいけど、なかなか分からない、他人がほしいものを理解する?他人の方がお節介でできるみたいなのものある、自分のためは難しいという人もいる
うまく行く行かないもある
鉛筆とは、みたいな話とかにもなってくる
noteとしての基準の鉛筆はあるはず
じぶんがnoteでいいよね、とかの根源は
じぶんが15,6年ブログを書いてきたという経験がある
はてなブログ、炎上、フォロワーつく、野蛮なインターネットの戦いを15年やってきてよいわるいを切り分けた
日本のメーカーだと、自分たちの製品を自分で使ってないということがある
日本のメーカーは言うほど技術好きじゃないよね問題がある
メーカー総体としては技術者大事にしてなかったり
言うほど責務を果たしてない
作り手使い手が離れすぎたが悪循環
大量生産の仕組みの中で
大企業という理由で入ってくる
モノとか世界とかのメタファーで考える
店とか作ることを考えると、酒好きが作った酒屋、麻雀好きの雀荘、みたいなのがある
酒好きかつビジネス感覚がある、みたいなビジネス感覚が実際には必要だけど
国産プラットフォーマーの大半は「俺は酒好きじゃないけど儲かるからやるか」みたいなのが多い気がする
海外だと「俺がインターネットだ」みたいな人が多い
モチベーションないのにプラットフォームやってる人とは?
どこで技術者からそうなっちゃうんだろう
さっきの図の円から軸がずれる
5割は使わないボタン、とかになってくると
冷めちゃうというの大学時代にあった
参与観察最高!みたいな
自分があると参与と行っても観察なので軸がずれちゃう
冷めてしまう自分に気づく
プラットフォーム全体の求心力がなぜかなくなっていく
自分の真ん中の足が、どれだけ広がってもずらさない
ある程度大きくなると、株主の問題とかも混みでやらなきゃいけないことが増えていく
自分事でなくなっていく冷めていく瞬間があるのかなと思ったが、防げる? by 100kw
どのレイヤーからエントリかにもよる、経営権持ってるならカルチャーフィットしてない人を採用しないアサインしないのがよい by fladdict
会社の構造上、そういう仕組みなら、プラットフォームを作るのを半分あきらめて、ユーザーが楽しいの作ってくれ!でユーザーに委ねる方がいいかも
自分の視点が変わってきてる by rakusai
コミュニティが発展していくのが喜びみたいになってる面もある
親?
サークルの部長、みたいな感じ by fladdict
Scrapboxでは何を汎用性と定義するか
シンプルさ、応用可能性、
機能が増えるとシンプルさがなくなる、
Scrapboxから新規ボタンをなくそうぜみたいな話もある
自分中心デザインという話がある
参与観察はもうやらない?
ユーザー調査をしない?
「ユーザーは学ぶ」がひとつのキーワード
リテラシも上がるし
ユーザーに教えるし勝手に学ぶし
じぶんが学んだ時にユーザーの熱量が上がる
与えられた、はおもしろくない
使えたという気づきが熱量あがる
学んでもらうための仕組みは?
学べばいいんじゃんは放置になってしまう可能性
大学でも学べばいいよで放置とか
気づいてっていう仕掛けを置いておく
デザイン思考とかはKPI上がったとか調査したとか、外部に要因を求められるので決めやすい
内部で決めると哲学論争みたいなのが起きる
コンセプトが純化されていく
スクボは哲学がある、と評価をいただくが、それは社内議論が社外に漏れてるだけ
デザイン思考とかのトレンド(20年あるけど)があるけど、今日の話が
プロダクトアウトの一種という理解でよい?
の方法論?
経験的に導き出した方法?
自分中心みたいな話、ドッグフーディングみたいな話?
Appleの話とかを聞くと、エゴの塊がガチガチぶつかる
ジョブズもLinuxもこういう手法
オモイがない時の代替手法がデザイン思考
これでやればそこそこになる、みたいな発送
蕎麦作りたい!とかなら料理キットいらないよね、みたいな
夫婦げんかのメタファ
外部の指標ないけど
夫婦は何かを妥協してお互い家に住んでる
どこかで妥結してひとつのプロダクトにまとめることは可能
一人じゃなくてもチームでも成り立つ
流派の違いに過ぎない
マーケティングしてそば屋がないとか分かってる人の一方で、俺はそば屋がやりたい!って人がいてそれだけの話
PDUピラミッドについて突っ込み
PとD、PとUを混ぜると良さそう
Google/Appleが自分たちでも作ったり会って遊んだり
Unityさんのコミュニティとか見てると、UnityはPだけどDとして作るのもUとして遊ぶのも好きだしっていう立場になる
うまくいってるコミュニティの特徴と思う
作り手であり使い手であるというのが現れる?
ドッグフーディングもそれに近い
ドッグフーディングはポジな話?
自分たちのニーズだけでも失敗するみたいな話をみかけたことがある
経営論としてもポールグラハムを信奉している by rakusai
自分の課題を解決しろ
ディベロッパーという層をつくったことで、ユーザーの捉え方が変わる契機になる
世界の市場はかわるし、個人でもどんどん作る人がいるし、ターゲットが巨大という認識が広まるとよい
そういう人は与えて喜ぶというより、カスタマイズして遊びたい、とかで価値を感じてもらいたい人たちという認識を持ってもらうとよい
いつも議論していて他の研究者どうしで議論してると、そんなに作りたい人いない説というのが出てくる
やり方が失敗してる可能性もある
仕組みの解決なのか?という悩み
雰囲気的にコメントとか投稿とかしてくれるのは読者100に投稿者1多くても5みたいな
WordpressでもSNSでもどこでも一緒っぽい
みんながみんなを無理しなくてもいい
なりたいと思った人がなれる、くじけて挫折しないようにする、ぐらいでよい
ビジネスとして考えると、Gyazoは8割が海外
イギリスのユーザーが突然増えた時期があった
イギリスのユーザーコミュニティの中で誰かが起爆剤になった
お互い聞きたいことは
noteでデジタルコンテンツを販売していくことの未来感
P/D/U
販売そのものは作家さん、Dさん、が創作活動やっていくなかの色々ある挫折しないギミックの中の1にしか過ぎない
ここに特化して何かをやろうとは思わない
極論、お金儲かって継続率上がるのが作家の根源的欲求ならそこが厚くなるが、今はそこじゃない
創作そのものが楽しい、発表して反応がくる、同業者がいる、生活費がもらえる・トロフィーみたいな組み合わせで作家の駆動エンジンになる
お金の販売で未来とかではなく
バランスとかチェーンみたいな考え方にコントロールおくことを考えている
食っていけたらいいな、という人はいるが、四大要素の1つ程度しかない
作家で50万で食えるけど読者ゼロとかならやりたい人少ないし
極端な例をよく考えるが、極端な例で成り立たないものは成り立たない fladdict
noteでは金の話、金のKPIは見過ぎるな
プラットフォームはメディチ家、都市国家の運営をする
都市国家を運営するということは税金の徴収だけではない
都市国家のエンジンの話だけになる
治安、外敵から守る、文化教育の推進、発展、外交であり
そういうの全部を含めてプラットフォーマー
国家とか文化とか共栄圏という観点でプラットフォーマーを考えるけど、自分たちのコミュニティが衰退・停滞・カルチャーのゆがみが起きると怖い by fladdict
そこのチャレンジは?
逐次エゴサーチしつつ反論して飛び込んでいくという活動がある
学びで気づくが大事
矯正するコミュニティリーダーが大事
プラットフォームの維持、哲学警察・ポリスがいて、このプラットフォームで行くみたいな考え方がある?
矯正しないと荒れ地になってしまう?
なると思う
どんなに機能設計してもそうなる
全く新しい使い方を発見してしまった場合
許容しない?
許容する
人をおとしめるコンテンツとかはnoteでいくら書いても成功は絶対ないというのを示し続けるという治安維持
プラットフォーマーには治安維持家が必要?
ムードメイキングという言い方がいいかも
AppleとGoogleは違うムードだし
ポリスみたいなことはやりたいわけではないけど
会場から聞きたいこと
Q: プラットフォーマーとして深津さんユーザーインタビューしてて洛西さんTwitterに行っててどういう風に思想が捉えられてると確かめてるのか、フィードバックを受けて補正していくのか
そんなに難しく分けてない by fladdict
メタファで考えてる、家族会議やらないとバラバラになるよね~みたいな
ふわっと包含された中で価値観の話などをする
特定の何かを抽出するためのメソドロジーはやらない
要望として素晴らしければ取り入れる、
開発機能がついてるので、ユーザーがどんどんデザインを変えたりしてる
U->D->Pで入社する人がいたりした
就活のモデルが使い手・作り手の悪循環を生んでる可能性がある
Q: 大手新聞社とかもやってるけど、Dとかの考え方が違うと思うが、特性の違いはある?
大手新聞社はDがない
記者をDとして扱っていいか
アプリの作りとかの違いはあるか
DさんがPの下部組織に入ってるので、会社命令のアンダーコントロールになってるので構造的に違う
CGMとメディアなので全然違う設計思想になる
都市国家のように新聞社のアプリも設計するのか?
新聞社は共同体ではなく意思を発信する機関なので、意思を発信するのとは違う設計が必要