清里現代美術館
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↑訪問した当時、いただいたチラシakix.icon
「世の中は変化し続け、人間も一緒に変化していると思っている。ところが、既成の“ものさし”でしかものを見ることができない人は、実際には何の変化もしていない。同時代の人間の生き方を問う現代美術は、 人の中身を変える手助けになる」。
平成2年に開館した清里現代美術館の伊藤修吾館長はさらに「よく『現代美術はわからない』と言われるが、美術は知るものでも学ぶものでもなく、見て、 感じて、考えるもの。よく見れば見えないものも見えてくる。その感覚を楽しみ、そこから生き方につなげてほしい。結果的に作家の意図することと違ってもかまわない」と言う。 館長の実弟で、都内の中学の美術教諭を務める信吾氏が、30年前から個人で収集を始めた現代美術のポスター、版画、立体作品を展示。現代美術に関する資料は1000点を超える。なかでも、戦後最大の芸術家と称され、現代美術のカリスマ的存在だったヨーゼフ・ボイスの作品や、ケージ、ライナー、フルクサスらの資料が充実し、美術教育の研究者が絶えず訪れる。 斜めに仕切られた壁など、斬新な建物だが「現代美術では作品のまわりの空間も作品の一部。作品に合わせて展示室を設計した」ため、隠し部屋や段差をつけるなどして変化がつけられている。 館内は10のコーナーに分かれ、来館者には同館オリジナルのガイドブックが手渡され、番号ごとに各部屋をまわる。また、「音の常設展示」に取り組み、音と美術との関係を考える機会も提供している。
「“社会のゆがみ”を感じさせるニュースが続いているが、人を変え、社会を変えるかもしれない現代美術を美術館で見ることは、私たちにとって生活必需品」と伊藤氏は語る。
「モノを見る」というのがすべての基本です。自分が徹底して動かないと見えるものも見えてこない。見えるものを見ていると見えないものが見えてくる。
そこに黒い絵が1枚あります。離れてみると黒い色が見える、四角が見える、囲いのような線が見える、それだけだと思うんですけど、近づくと、フレームが繋がっているようで繋がっていない。この絵は右の二辺が左の二辺より低く作られているんです。そして遠くからだと立体的な奥行きも見えてこない。いろんなものが近づいたり離れたりすると、見えたり見えなかったりする。だからものは単純に見えたり見えなかったりするのではなくて、いろんなものの影響受けて見えたり見えなかったりする。それを克服するためには自分が動かない限りものは見えてこない。つまり普段は見たつもりでいるだけで、実は見ていない自分が見えてくるわけです。
この美術館は壁ひとつ並行しているところがないんです。当然と思っています、壁は並行していて、直角で交わっているものだと。ところがこの建物は直角の場所もひとつもないんです。
現代美術というのは、一生懸命見ると面白いんです。 感嘆詞がどんどん、「えーっ!!」とか「あーっ!!」とか出てくるわけです。現代美術というのは、そこまで自らが動いて、初めて楽しめるものなんです。要するに勉強だけやっていたんじゃ楽しめないんです。
現代美術というのは、社会と密接につながりをもっているのが特徴なんです。 例えば、ヨーゼフ・ボイスは「社会の資本はお金ではなく考えること」という信念を持ち、その考えることを実社会の中に幅広く広げる努力をしました。だからボイスはあちこちで何回も若者を対象に討論会を開いて、社会に揺さぶりをかけるような作業や論争を起こしている。ゆえにボイスは現代美術の戦後最大の芸術家といわれているのです。