椅子を作れなかった日のこと
バウハウスへの応答展を見に行ってから、脳が刺激を受けているせいか過去の記憶が諸々蘇ってきた。その中でも最も「敗北感」の強い記憶がある。椅子を作れなかった日のことだ。 たしか大学院生の頃だったと思う。田中浩也先生の授業を受けていた。2011年秋学期「デザイン戦略(アンビエントメディアデザイン)」という名前のデジタルファブリケーションがテーマの授業で、プログラミングが得意な自分には楽勝かなと邪な気持ちを抱いていたら硬派なデザインに関する授業でついていくのが大変だったような覚えがある。 中間課題は既存の再利用可能ライセンスの下で公開されているデジタルファブリケーションのデータを元に、付加価値をつけて発展させよ、というような内容だった気がする。レーザーカッターで作るCDケースのデータを元に、授業で取り上げられていた切れ目だけで木が曲がるという構造をマッシュアップしたものを提出した。この組み合わせを田中先生は評価してくださって、とても褒めていただいたのを覚えている。今でもこれは嬉しかった記憶として残っている。
ところが、最終課題が問題だった。テーマは「椅子をつくる」である。既にデザイン史についても授業中に触れられていて、椅子がデザイナーにとって重要なテーマであることは理解していた。が、自分が作りたい椅子とは何なのか、あるいは作るべき椅子とは何なのか、そもそも椅子が何なのかというレベルでよく分からなくなってきて、大混乱してしまった。
たいていの授業課題はアイデアをさっと思いついたり、実装をすっと済ませたりで乗り切ることが出来ていたが、「椅子をつくる」というシンプルな課題に対して、まるで全くアイデアも発想の糸口も自分の中から湧き上がらず、ついに提出日まで何もできずに終わってしまった。大学および大学院の授業課題で、アイデアレベルで全く何も出せなかった授業課題は、これが最初で最後だった。
今もし自分がこの課題にもう一度向き合ったあの日に戻るなら、まわりの人と議論したり相談したり、図書館に行ってみたり、悩む前に何かインプットを増やす方向で動くことができると思う。なぜ当時まったくアイデアが出てこなかったのか、今となってはあのシンプルな最終課題に一片の回答もできなかったことをずっと苦々しい思いでたまに振り返ることしかできない。
そういう思いを胸に抱きながらORFに参加した時のこと、田中先生にお会いしてご挨拶したところ、「あのCDケースは本当によかった。本に載せました」と言っていただいた。最終課題は出せなかったけど、13回の授業を通して何か爪痕を残せたような気持ちになって、そう仰っていただけて本当に嬉しかった。ただ、照れ隠しで「あっでもその授業D評価(落単)でした!」と余計なことを言わなければよかったという後悔に今は切り替わっている。