2025/8/21
tumblrの中でかなり面白いブログがあり一気読みしたので私の考えたことなどを描く
かなり雑多でよく話がとんで読みにくい。注意して読んでほしい、ごめんなさい
サブカルチャーは大学という場で展示するにふさわしいか?という話
美術大学ではかなり、かなり多い サブカルチャーを大学の進級展で展示する人間。私もそうだが
大学で展示するにふさわしい作品なんて決めたほうが大学という教育の場にはあっていない、様々な作品があることを許容すべきだとおもうが成績を評価する人間がいる時点でその人、および鑑賞者と製作者のモラルのすり合わせを行わなければならない
ストリートステッカーなどが特にその側面を持ち合わせていると思う
ストリートステッカーを制作する人間及びストリートに関心がある人間達はモラルのすり合わせが終わっている時点なので単純にものの美しさや文脈などを読み取り、考察し、作品を享受することができる
しかしツイッターの投稿で見た人や、街中の人間からしたらストリートステッカーは等しく「街の景観を損ねる悪しきもの」であり、ストリートアーティストは「犯罪者」なのだ
街中の人が街の景観に対して強い関心があるわけではない。
ただそこにはその人々の「超えてはいけない一線」がありそれこそがモラルなのだ。
モラルやマナーなどのその人の一線を超えるとそもそもの美しさなどを評価する土俵にもあげられないのだ。
同じステージにいない、いるフロアが違うのにツイッターというSNSの中でタイムラインという無造作に流れ着く海のせいでまるで同じ段階にいると勘違いしてお互いにいがみあっている
全員が裁く側の人だと勘違いしてしまっている。見て見ぬ振りができないのだ。別にタイムラインに流れてきただけの他人である。そこの畑に住むだけで責任者ではないのだから静かにブロックしていればいい。憤ると「その人」になってしまっている。ooで怒っていた人。
大学は一応評価をされているのでここら辺のエログロにもなにか配慮がいる。
それはゾーニングだったり、モザイクで明記を避けるなど
黒塗りにする演出はもういいから
秋葉原などゾーニングの場として素敵だったのに いや、今もまだギリ機能しているか?最近駿河屋いってないなあ
私は駿河屋の4Fだかの女体のパネルの股部分にくり抜かれた穴に手を入れると消毒液が出てくるあのシステムが本当に大好きだったんだ...くだらない 最悪なユーモア 私はそれのモラルを超えて面白いと思える人間だったから
もちろん女性差別と言われた一発アウトだなあと思っているけれどあれがエロゲの階層にあるならゾーニングが果たされていると思うし、無くさなくてもいいと思うんだよな
以前友人に「フェミニズムという言葉がかなり軽率に扱われ、違う意味を持ち始めた」という話をされた気がする
私もフェミニズムと言われるとあまりうまく、綺麗な言葉で説明できる自信がないなあと話をした時に
上野千鶴子さんの著書や講演を紹介された。
フェミニズムだけではなく私は全般的にうっすら社会問題を取り扱った作品が苦手だ 評価できない
見なければいい話なので見ない
→11/5 追記
これを友人に相談した時に「問題は不特定多数だからそれ相手には強い言葉を使いやすいのでは?誰かを傷つけるという意識が生まれにくいから」という回答をもらい 確かに、となった
若者は解決ではなく面白い切り口さえ見せてやればいいのではと言う気もする
大学の話に戻るが作品のエログロをあえてそのまんま出している作品はかなり少なく、モラルなどを踏まえず自分先行で見せつける方が多いような印象を受ける。
エログロを見せるなら、人一倍作品の表現方法や文脈、知識に詳しくあるべきだ
勘違いされるから エログロが好きな人って(好きでもいいのだがそれだけが好きなアホだと思われる。こじらせた中2病、イタイやつだと嘲笑され、先生にもそう思われまともな評価をもらえない。それが嫌な人の向けの記事だ。)
そして見せ方を考える。
先ほどモザイクの話をしたけれど隠さずにエログロを出す方法もある。
それはユーモアを載せることだ。それかエモ、ロマンチック
人の感情を強く揺さぶれるここの二つの要素を乗せてエログロのモラルをなんとかする。
村上隆のマイロンサムカウボーイや会田誠のコメットちゃんとかはその部類であろう。
まあここまでしてもエログロの感度が高く不快になる人は少なからずいるのでその作品を届けたいターゲット層(大学なら教授か同年代の生徒達)に合わせた年齢制限の処理を考えるのがいいだろう。
話が右往左往した
https://scrapbox.io/files/68a66baaefb7452b19dc6a48.png
私が好きなツイートを置いておく。自分でこうやって自虐的である限り良いのではないかなあ。私は著作者ではないのだから見ても見なくてもいいのだ。このツイートにも思いっきりぼざろのキャプチャを使っていて笑いました
このツイートのミームの初出わからん、なんかよくこの旨のツイートが回ってくる時があったんだけど なんだったっけ
いやそもそも....私たちってたくさんの作品に影響をうけた創作物をみて、育った価値観で物事を話すけれど、それは本質的に著作権違反なような気もするんだよなあ
私たちの作り出す自我も発言も思考も何もかもに先人がいる
それがわかりやすい形で表層に現れているかどうかなのではないか?と考えたりしています
私は音MADやミーム許容派なのでこのような考えに至りましたがそんなこともないよ!という意見もあると思いますが