自由に生きたい人は全員、疑似的に死ぬべきだ
2019.10.17
疑似的な死とは
頭かち割られる体験
圧倒的不全体験
今の自分じゃ全然足りないと思い知らされる体験
心的外傷体験
疑似的な死=心的外傷体験から立ち上がった体験
そこから新しい自分に生まれ変わる
世界の見え方は180度変わる
止まっていられない
だって、こんなところでどん詰まったら自分がかわいそうだ
どん底から這い上がって自分をここまで連れてきたのに
こんなところで負けたら、今まで努力してきたのに
ていうのをパワハラ上司と格闘して号泣した日に思った
こんなことで負けたら自分がかわいそうだ
人生は短い
「明日死ぬかもしれない」は絶対的に真実
明日にもこの命は無くなるかもしれないし、目も見えなくなり耳も聞こえなくなるかもしれない。大事な人もいなくなるかもしれない
というのを、看護師として何人も見送った経験や死ぬ寸前まで病んだ経験から思った。
無駄な時間は1秒もない
行動を精度化するべきだ
確度の高い人生を生きたい
つまり、自分の人生のうち「うれしい・楽しい・気持ちいい」と思える時間は増やし、そうでない時間は減らしたい
行動を精度化するべきだ
行動を精度化すると、行動の積み重ねである人生も精度化されるから
すべての行動において仮説検証をすべき
この行動は良かったのか、悪かったのか、人生の目標に対しどのくらいインパクトがあったのか、じゃあ次はどうするのか
重要なのはログを取ること
自分にとって幸福な結果をもたらす行動は増やし、そうでない行動は減らす
そうしないと、自分の人生は簡単に他人に奪われてしまう。
本当に必要としてくれている人たちのためも時間を使えなくなってしまう。