(私にとって)大いに納得できる考え方をどのようにして浸透させていくか
https://gyazo.com/710a6b63ac607413ba5c4aa9ac1e348b
感銘を受けたのは、わたしが「これからの学校教育」という形で話をする内容とほぼ丸かぶりであると同時に、わたしなんかよりもデータがしっかりしていて、かつ、話し方もソフトで聞き手にわかりやすい。さすがだなぁと思う。
例えば話の中で出てきた言葉に以下のものがあった。
自立
共生
目的と手段を取り違えない
一斉一律からの脱却
子どもが教師に合わせてくれていることの自覚→これらができることは指導力が高いということになるのか
「学校は」と「先生は」は同義語ではない。
「学校は」は」先生と子どもたちは(保護者は)」が同義語になるのではないか。
どうなっていればよいのか(What)
子どもと共に創る授業、学校に
学びのプロジェクト化
個別最適化
最も大切なことは「子ども観」
マインドセットの転換を
ここから、勝手なわたしの推測になるが、どこの県もたぶん、今の時代、同じような「学校像」「教師像」「授業像」「児童・生徒像」を持っているのではないかと考える(もちろん、そう思っていない自治体もあるだろうし、時々、一斉授業を突き詰めようとか、訓練のような形で子どもたちを高めようとしている残念な自治体のニュースも飛び込んでくるが)。
そうである場合、焦点を当てなければならないのは「現場」であり、個々の子どもたちや保護者と対面するであろう「学級担任」を中心とした教師である。
麹町中学校の工藤勇一校長の例を持ち出すまでもなく、文部科学省や都道府県は「過去」の価値観の変化を求め、どんどん「学習者中心」におもしろいこと、新しいことをやってしまってください!と言ってくれているのである。そこに乗っかってその地域、現場だからこそできる「新しいこと」「おもしろいこと」をやれるか、やってしまえるか、が現場に求められているのだろうなぁと思う。 人は(わたしもそうだけれど)、安定を求めるわけで、それはつまり、「今のままで」ということにつながりやすい。そんな中、
他者意識をもつこと
少し先の将来を見据えること
少しでもいいから大きな視点(地域など)に広げること
ができるかということなのだろう。
ここをどうすればいいのかなぁ……。
わたしの役割はどんなかななぁ……。
草の根的に、体験を通して感じてもらうしかないかなぁ……と、思っている。