非日常になってしまった日常がこの上なく幸せと思う
https://gyazo.com/e58d0047e63bdd2a0f3e91af6c1d70a8
仕事が入っていない土日。
大学にこもって、処理しきれない仕事等に集中するチャンスです。特に、複数のことにサッと取り組み、集中することが苦手なわたしにとって、1日、誰とも話をしないであろうことを想定してこもることができるのはとても貴重であり、仕事がはかどるチャンスです。
と、思いつつも、この土日は実家(福島)に戻りました。
実家でも特別にわたしが戻らなければならないイベント(行事)はなかったのですけどね。
その意味じゃ、のんびり過ごしたわけです。
そして、わたしとしてはとっても平和な気持ちで過ごしました。
仕事的には、2日間何もしないで実家で過ごすということは、とっても大きな時間の損失なんですけどね。
ま、それでも、自分が選択するとして何を優先順位の上に持ってくるかということですよね。家族と過ごす時間を持てそうだ。だったら、他を一度忘れて(捨てて)家族と一緒に過ごそう……ですね。例え、その後、仕事関係で辛くなったとしても。
思えば、こうして、家族で過ごすことが50歳までは、当たり前のことでした。
それが今は、特別なことです。
だから、一つ一つの場面場面が、とっても貴重な大切な時間です。
例えば、
二人で息子とラーメン屋に入ったとき。
目の前のコップをとって水を入れてわたしに差し出す息子。
今まで、そういう振る舞いって自然にしてくれたことがなかった。
めちゃくちゃ感激
例えば、
ラーメン屋から本屋さんまで車道をトボトボ息子と歩くとき。
今はまっている漫画を楽しそうに話す息子の表情。
いつ、また見られるかわからないから、じっくりと見てしまう。
例えば、
福島から帰る途中、立ち寄ったユニクロ
妻が買い物をしている途中
店の前の路肩に腰を下ろして行き交う自動車を見てしまう。
例えば、
福島から二本松まで帰る途中に立ち寄った道の駅。
リーフへの充電30分の時間。
自動車から出て、ベンチに座り、
安達太良山方面を見ながら、通り過ぎる自動車や人々をぼんやりと眺める瞬間。
例えば、
母を自動車に乗せて、
互いに、おしゃべりがやまずに、しまいには、自分(たち)を棚に上げて、
お前はおしゃべりだ、うるさい、他人に迷惑だと口論にまで発展してしまう。
たぶん、これがわたしの「生きている」を感じる今。
本当に、「健康的に毎日を生きている」
それだけで十分だよなぁ……と思う。
それ以外に、何も必要としない。
だからこそ「健康的に毎日を生きるため」を維持するための日々の営みを「楽しく」続けていかなければと思う。