集団(チーム)づくりについて
集団をどのようにつくっていくか。
よくわかりません。
理由の一つは自分の性格にあります。
自分はもともと「集団」と距離を置くような生き方をしてきたからです。
指示、命令することが嫌い。
指示、命令されることはもっと嫌いなわたしにとって、「集団」とは厄介な生き物です。
「集団」という圧力でどんどん、わたしという「個」を攻めてきます。
今、心の中で「コーヒーを飲もう」と思ったとします。
でも、隣の人が「コーヒーを飲んだら?」と勧めてきたら、「じゃあ、紅茶をお願いします」といいたくなる性分です。
「あなたは、こうしたほうがいいよ」とか「こうしたほうがあなたのためだよ」と言われると、それが客観的に正しかろうとやりたくなくなります。どうしてもやらなければならないものだとしたら、形だけ取り繕って(最低限のことだけをして)とにかく、できるだけ力を入れないで済ませます。
だからね。この性格はいろいろなところで困っちゃいます。
成人式?行きませんでした。
結婚式?開きませんでした。
過去に関わってきた、教え子たち…?ほとんど誰ともつながっていません。
だから、卒業生、修了生を出したとしても、その彼ら同士がつながる何かを組織しようとはわたしからは動かないでしょう。形式上、つながることが前提の組織ってなんか気持ち悪いです。この「形式上」のようなものがあるからこそ、同調圧力のようなものが芽生えてくるのではないでしょうか。
自分自身、小中高等学校時代に私と関わってくれた先生と誰一人ともつながりはありません。大学時代の先生とも全く関わりありません。それが普通の感覚なので、そうじゃない人(ある時代の児童生徒、または恩師、そのときに属していた集団や組織と関わり続けている人)を知るとわたし的に、驚愕します。
スゲェ!
です。
わたしが、こんなだから、阿部ゼミは自由という言い方を自らも、他からもされているようです。
つまりは、束縛したくない、されたくないです。
自分がこの世に生まれてきて、あとは死に向かって生きていくだけなのに「あなたはこうすべきだ」などと誰から言われる筋合いがあるでしょうか。いい加減にしてくれですよね。
だから、極力わたしも、学生を含む他者に、「あなたはこうすべきだ」という言い方はしません。