院生の学びの成果が教職大学院研究紀要としてまとまる
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大学にお世話になって3年が経とうとしています。
過去2年間は、どうにか自分自身の興味関心、そして、研究を引き出して、本学の教職大学院研究紀要に単著(自分だけが執筆者)という形で書いてきました。 今年度は、うれしいことに2人の院生が学びの成果を教職大学院研究紀要という形でまとめました。院生がファーストでの共同執筆という形になります。 わたしのようなゆるいアドバイザーのもとでは、ゆるい学生しか育っていかないだろうなぁと思いつつも、それでも、学生は多様でしっかりと自分の目標を立てて前に進もうとしてくれています。その年によって集まってくる学生の志向、キャラクターはそれぞれでしょうし、もともとの本学教職大学院へ来るときの動機、目的も異なるでしょう。私は、その方々の目的に添えるような寄り添い方(アドバイス)ができるよう務めていきたいと思いますが、その中でも一番に考えているのは、「集団の学び下げ」が発生しないようにしたいということだけです。 もっと、簡単に言えば、「努力しないことに価値をおく集団」「努力する人をみんなで足を引っ張ろうとすること」にならないようにしながらの「多様性」です。
そもそも、「教職大学院」が全国にたくさんできつつあり、加えて、今までの「大学院」とは異なる名称(教職大学院)になったわけですから、全員が全員「研究志向」であるとは限りません。強烈な「実践志向」で来られる方もいるし、もっといえば、今現在、どのように生きていこうか迷っていてとりあえず「教職大学院」に行こうという方もいるはずです。それでいいです。ここに来て、何らかの学びがあれば。気づきがあれば。そして、将来に振り返った時、あのときの「教職大学院」にいたことが今につながっていると思ってもらえるのなら。
全国に教職大学院ができてきていることで、今まで以上に「教職大学院」にも多様性の波が来ていると思いますが、その中でも、繰り返しますが「集団の学び下げ(つまり、下流志向)」だけは発生しないようにさせたいというのがわたしの思いです。
どちらにしても、大学院などに来ても来なくても、「生涯学び続ける社会」に突入しているわけですから、「学ぶ」ことを楽しめる人(学ぶことが自分自身生きていく社会とつながる、役立つようにしていくこと)になってほしいですよね。
あとは、学生のお手本の意味としても、私自身が「楽しく学び続ける人」を体現していかなくちゃなぁと思っています。