読書感想「エアー2.0」
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今年もなんとか無事に「3月11日」が過ぎた。「無事に」という意味だけど、あれは「2011年3月11日」のことだけであり、年中行事ではないと頭で心で体でわかってはいても、「3月11日」という1日が終わるまでは、どうも胸騒ぎが終わらない。そう。「3月11日」に自分の身の回りで巨大地震が起きるのではないか、津波がやってくるのではないかという恐怖心がある。日本にいれば大なり小なり地震はあるし、また、普段地震があっても震度7を実体験してしまったわたしは少しの地震では(悲しいかな)驚かなくなってしまった。でも、「3月11日」は特別である。この日にちょっとした地震でもあればパニックになるかもしれない。とにかく(ジコチューであるが)無事過ぎてホッとしている。
最近、チラチラと頭に浮かぶのは封切られたばかりの映画『Fukushima 50』。賛否両論の感想、意見が自分の目に耳に届く。なんだか、「福島県民」のわたしとしては「見ておかなければならない映画」のような気がするし、「見てはいけない映画」のような気がして、怖い。どうしようかと思っている。「記録映画」ではなく、「娯楽映画」としての上映だろうから、事実をドラマに、または「感動モノ」に美化されているのだろうか……。「商業映画なのでそれは当たり前」と思いながらも、どのような立ち位置で見ていいのだろうか……。悩む。怖い。 福島は、Fukushimaは、現在進行中である。「地震があった」「津波があった」という過去に加えて(もっとも、これらから立ち直れていない方々を考えるとこれらも過去と言ってはいけないと思うが)、放射線が県内にある。福島県の天気予報では本日の放射線状況を県民に知らせているし、公的機関(学校を含めて)の敷地内にはリアルタイム線量計が設定されている。今も東日本大震災は続いているのだ。 この時期になると、時々、当時、何もできなかった自分を責める意味でも書くことを、また飽きもせず書いてしまう。
東日本大震災で大打撃を受けて様々なものがボロボロになった時、同時に社会の様々な目に見える建物に加えてシステム(学校のシステムなんかがそう)が疲弊していたので、これをきっかけに大きくより良いものに変えていくチャンスだとわたしは思った。しかし、みんなが目指したものは「復興」ではなく「復旧」であった。学校内部で言えば、「がんばって、震災前にやっていた◯◯をもう一度やれるようにしよう……」だった。なんだ、こういうことがあっても世の中というものは、人の考えというものは変わらないものなのだと思った。 さて……。(いつものように)前置きが長くなった。この本の感想、説明(大いにネタバレあり)である。
「日本」に、「福島」に焦点を当てためちゃくちゃ空想のお話である。
「エアー2.0」という(私から言わせると)「お金がジャンジャン湧き出るブラックボックス」があることで、「福島」の放射線で荒れてしまった地域から発の「復旧」ではなく「復興」いや「改革」を目指していく話である。日本ではこういう前衛的な対策はできっこないよなぁと思いつつ、内容がとても前向きで、積極的で、明るいので読んでいてワクワクする。
なかなか人が戻ってこない原発近くの地域を特区にして、そこに住み、そこから、放射線対策、対応や持続可能エネルギー開発その他諸々の「未来に向けた」起業を応援していく仕組みをつくる。ここだけで流通するお金のしくみをつくる。ここから出発するお金の仕組みをつくる。
くり返すが、空想である。夢物語である。でも、発想がとてもとてもポジティブで面白い。
このくらいの「現実離れした発想」で「日本」を「福島」を変えてくれる人……いないかな。
そういうことを書くと、やはり「変えてくれる人……いないかな」という他人任せ、自分はやらないという段階で、まぁ、どうしようもないじゃんと言われて終わりかな、やっぱり。
「変わる」って難しい。
でも、こういう本がなんらかのヒントにならないかな、なってくれるとうれしいなとも思う。