見送ることでの家族ロス
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わたしは、基本、一人でいて平気な人間というか、ひとりを基本的に好むので、土日、誰とも会わなくてもそれなりに幸せに生活できるのだけれど、本日(2018/04/15)の午後は、少し、ホームシックというか、家族ロスの気分になった。 土日と、久しぶりに家族が来てくれて(といっても、大家族のわたしは全員が来てくれたわけではないけれど)、常日頃来てくれる妻、自分の用事がないときは来てくれる息子に加えて、独り立ちし、父(わたし)にはなんの興味もないであろう三女も来てくれた。嬉しくてたまらないわたしは、 高田公園(三女は、全国各地の桜見物が大好きで、そこでここに興味を持ったらしい。残念ながら葉桜だったけれど) を彼らと共にして、本日、午後見送った。
普段、福島の自宅に帰り、日曜日夕方には、「じゃあね、また来るわ」といって上越に向かう。そのときは、なんの気持ちも沸き起こらないと言うか、運転しながら次の日の仕事のこと来週のことを考えながら運転していくわけだけど、今日は、なんだか、ずっとずっと頭の片隅に、家族との別れの残存があって、ずっと引きずっていた。
変だなぁ。ゴールデンウィークにすぐに会えるのに。
そういえば、3年前。大学に着任したばかりのゴールデンウィーク。最初で最後であろう、父と母が上越に2人で来てくれて、妙高高原、長野観光をした後、彼らを見送った時も、なんだか、強烈な喪失感を味わった。あの時も、来週は福島の実家に向かうのを知っていたのだけれど。 わたしだけなのかなぁ。「見送ってもらう」よりも「見送る」ほうが喪失感が激しいらしい。
それを感じた、今日の午後。なんだかんだいって、ロマンチックなのよ。わたし。 いつもは、23時や24時近くに床に入るのだけれど、本当に本当に何もする気がおこらないので、もう寝ることにする。
明日、大学に行って仕事をすれば、この喪失感もなくなるだろう。
早く来い来い明日。