細かい教育技術をどう考えるか〜模擬授業その他で
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よりよい授業のイメージというのは、大きな概念として共有しつつあり、目標や進む方向性、考え方としては「同じ研究室」として抱きつつあるようです。もちろん、わたし自身、固定化させること、閉鎖的であることが嫌いなので、いつでも、固定した「これ!」が正しいと思いたくないし、停滞しつつある時はぶち壊すというか、本当にそれでいいのか?と自分自身問いかける形でいたいと思っていますが。 それでいて、「目標」や「目的」と異なって、ストレートマスター中心の模擬授業を真剣に見れば見るほど、「細々とした教育技術」というものに、目がいってしまいます。 この頭によぎる教育技術というのをわたし自身、どのように考えていいのか、今、悩むところです。 単なるわたしの自己中心的なこだわりなのだろうか。
過去の経験(教育技術の法則化時代に教員生活を過ごしてきた自分)をただ引きずっているだけではないのか などと考えてしまう自分がいます。
同じメンバーで模擬授業を続けることで、なんとなく、そこの空間で学級集団のようなものができてしまいます。つまりは、「話さなくてもわかるでしょ。(または、わかってほしいよ)」的な忖度集団になりそうです。この忖度集団になった時、進歩は無くなりますよね。 だからといって、経験者(ここでいうと、現職院生やわたし)が、偉そうに上から目線で模擬授業を進めていくことに良さは感じないです。うーん。 うまい具合に、次に向かうためのいい課題が見つかりましたね。
最終的には、そこにいる方々の意識だったり、気持ちの持ち方なのでしょうけれど。 ちょっと、模擬授業について今後、考えてみたいです。 ちなみに、(わたしの近くにいる人しかイメージできないでしょうが)ゼミで行う模擬授業と、木曜日2時限や後期に学部2年に行う木曜3時限で行う授業(模擬授業とは言わずに、実験授業と呼びたい)は内容を区別しております。
この木曜日の授業は教育技術なんてどうでも良くて、授業者の思いが十分込められていれば全然大丈夫。 いろいろと考えてみたいです。