映画「ライオン・キング」感想
https://youtu.be/e_c3rZ6TqD8
感じたこと、大きく2つある。
その1 超実写版に関して
超実写版というだけあって、実写と区別つかない見た目、そして、動きであった。
とはいっても、実際ではありえない肉食動物と草食動物が隣り合っていたり、ライオンとハイエナたちが並び立ったり、正面切って戦い合ったりする場面は、どんなに本物の動物を訓練させたとしても実現できない演技であり、「超実写版」だからこそできる演出で素晴らしいと思った。これを見ると、将来、人間の俳優が必要なくなる可能性がありそうな気がして怖い。
とはいっても、「超実写版」と称して、「実写」に近づけようとするあまり、アニメーション等だからこそできる、デフォルメと言うかキャラクター(の意味)づけが弱くなっているような気がする。
例えば、(良し悪しかもしれないが)同じ、ライオンだとしても、よい立場のライオン(この場合、ムファサ)の体の色合いを明るくして、悪い立場のライオン(この場合、スカー)を黒い色合いにする……ということは、アニメーションだと当たり前にするし、そのように表現されても、アニメーションというワンクッションがあるために、視聴者はそれを当然と思って受け入れる。しかし、実写の場合、それを色濃くしてしまうと見ていても違和感を感じるだろう。
実際、この映画でもムファサとスカーは体つきその他でよく見ると区別できるようになっているが、全体として普通の「ライオン」で表現していた。まぁ、それで良いのだと思うが……。AKB48のメンバーの区別がつかないおじいさんのわたしとしては、見ている中でなかなかにつらい感じがしないでもなかった。
あっ、でも、今公式HPでムファサとスカーを見比べてみたけどずいぶん見た目違いますね。たんなる、わたしの能力が衰えているだけか……。
その2 苦楽等々の対比って実感してもらうためには必ず必要なものなのか……
実写版だろうとアニメ版だろうと、ストーリーは「ライオン・キング」で、多くの方が知っている通りのものだった。
改めて、ストーリーを考えてみると、「父」と「息子」の物語であることがわかる。そういう意味で、今、成長した息子と2人でこの映画を見ることができたのは感慨深い。
その上で考えることがある。
こういう物語は、対比という意味合いもあってか、必ずや「マイナス」の時間を必要とする。
「父への反発」「父の言うことを聞かない結果陥ってしまった現実」
↓
父がいなくなってからその偉大さを知る
↓
父を乗り越える
うーん。わかるけれど、こういう構図(または時間進行)を経ないと人は成長できないものなのだろうか。
ライオンの「良き父親は息子を崖から突き落とす」ではないが、わざと「マイナス」を経験させないと人として成長できないということになる。
それが正しい!
という人もいるかもしれない。
が……。
うーん、どうなのだろうか。
例えば、「平和と混乱」を考える。
人は平和を求める。
ある意味、(いろいろと言い分はあるだろうが)「日本」は世界の中でも最も平和な国の一つであろう。しかし、「平和」が長く続きすぎるがゆえに、「平和ボケ」ではないが、世界の動きに疎くなったり、世界の貧困や混乱に疎くなったり、政治に関心がなくなったり、世の中の動きに無関心だったりする……、とも言えそうだ。
だからこそ、「戦争」をしてしまえば「平和ボケ」している日本も目が覚めるという論調を見ることがある。
これは、上の対比と同じで、「平和」のありがたみを知りたければ、感じたければ、「平和」ではないところを体験すればよいということだろう……。
うーん。そうなのか。本当にそうなのか。
わたしは、人一倍平和ボケをしている人間かもしれないが、この「平和」をありがたく思うし、「平和」が続くように、続けられるようにどうにか国民として、地球人として、どうにかしたいと思うし……。それって、わざわざ「貧困」や「混乱」を経験しなくてよい。経験したくない。
まぁ、映画だからね。物語だからね。実際を経験しなくても、分かるように、啓発や啓蒙の意味で強調しているのだろうし、こういう物語があって、読んだり、見たりするからこそ、わたしのような人間は「戦争」や「争い」等々を経験しなくても、そういうことはしたくない……と思って生活できるのだろう。
とにかく、どこに旅行しに行くでもなかった今夏。息子とよい時間を持つことができた。よかったよかった。