映画「プラダを着た悪魔」
ファッションに興味をいただいていない記者希望の女性が、ちょっとしたきっかけで世界一のファッション雑誌のカリスマ編集長の秘書になり、内に秘めた才能が開花し仕事のできる女性、ファッションセンスの素晴らしい女性として成長していく。そして、それに反比例するかのように、以前からのつながりのあった友達、恋人からは「変わってしまった人=残念な人」と見られて、離れられていってしまい…さあ、どうする?というお話。
ビジュアル的には、冴えないファッションを見にまとっていた主人公が、どんどんセンスの良い女性になっていくのはそれだけで憧れるというか、素敵と思う。まぁ、そう見えるのは、もともとの主人公の姿形が素敵(美人)だからということが一番の要因に見えるけれど。
そこはそことして。
話の中心であろう、仕事を大切にするか、私生活を大切にするかという部分において、そういう(仕事の)「トップ」の位置にいる、い続けるということは、私生活の充実を諦めるということなのだろうかと考える。
最後の最後は、その人たちの「幸福感(幸せというものをどのように受け止めるか)」なのだろうけれど。これには、絶対的な正解はなく、個人的な、人それぞれのものがあるわけで、その個人的な幸福に向かって自分は進んでいるか、進めているかということなのだろう。
そういう意味では、わたし自身は、どれにでも何にでも、首を突っ込みたいし、刺激を得ていたいし、その世界を感じたいと思う人間であり、そのように考えた場合の現実的なこととしては、どの世界においても「完全に突き詰める」「プロフェッショナルになる」ということは無理で、「そこそこまでいく」「そこそこまでできる」「そこそこでいい」という感覚なのだ。そして、たぶん、「完璧」や「プロフェッショナル」に憧れながらも、あれも、それも、これもしたい人間であるわたしにとって、「完璧」や「プロフェッショナル」というものは最も遠いものなのだろうと感じる。
(わたしの場合)、せっかく生まれてきたのだから、いろんなものを見聞したいという「興味関心」が生きていて一番のものなのだ。