教育実習,授業参観記その3〜授業後の話(指導)をどうするか〜
この立場になり,自分のゼミ生の教育実習の研究授業を見るようになって何年かたつ。研究授業後,どのようなお話(指導なのかなぁ……)をするのがよりよいのか,自分の中のベストなふるまいの答えがまだ出せないでいる。
授業を見ていると,「自分ならこうするけどなぁ」「こうしたほうがいいのではないか」「よい授業になるにはここが不足している」……などなど感じることがある。しかし,これらをそのまま話したのでは何ら意味がない。
学生(授業者)がそれを求めていないからだ。発達の最近接領域や正統的周辺参加……ではないが,まずもってわたしの頭の中に浮かんだものはわたしの中の「当たり前」や「理想(こうすべき)」であり,そこと学生の頭の中はかけ離れている。(ちなみに,わたしが上で学生が下という意味ではない。違う,異なるという意味である)。それを「アドバイザー」「指導者」という立場を利用して,わたしが学生に言い聞かせるという構図をとると,「指導」という名前の「説教」に近くなる。
じゃあ,少しでも実りある話,学生が求めるやりとりをその場でつくるにはどうするか。
まだ,絶対的な答えというものを見つけてはいないが,今のわたしが思っていることは,
目標の共有をし,
その目標に照らし合わせる形で授業を振り返る
振り返るときは,わたしの「問い」や授業者の「感じたこと」をもとに進める
ということかなぁ……と考えている。そのうえで,もし,学生がわたしが考えていること(わたしの目標)に興味関心を示し,学習者の目標とわたしの目標のすり合わせや違い等々に入り込んできたら,そこで初めて自分の考えを出してみる……かな。
例えに使いやすいスポーツで言ってみる(これ,例えが適しているかということがあると思うけど)。
「勝利」や「◯◯というスコアを出す」などの明確な目的があれば,そこに関しての最初のスタート(つまり,とっかかり)ってやりやすいと思うんだよね。
でも,授業ってなかなかそういかない。
「どんな授業」というよりも,「45分(または50分)を(無事に)過ごす」ということが先に来て,内容や目指すものが見えない時がよくある。また,「どんな授業」にしても「いい授業」のような抽象的なもので,一人ひとり頭の中に浮かぶ内容が異なっていることが,(これも)よくある。そもそも,学生には「義務」でやらなければならないから行っているだけで,「どんな授業」というものさえない場合もある。
とはいえ,押し付けはできない。それをした段階で学生の目が死ぬ。
やはり,自分で見つけてもらわなくちゃね。そして,自分で見つけたいよね。
……。
いろいろと,悩み悩み過ごす毎日である。